授業内の活動を通して参加意識や充足感を得られることと、そこでの学習を通じて学力向上や自分の進歩を実感できることとは、単純にイコールではないようです。
以下のグラフ(散布図)は、生徒による授業評価アンケートのデータを元に、授業内での活動に生徒が得る充足感と、授業を通じて実感する学力向上や自分の進歩(学習効果)との相関を探ったものです。
縦軸・横軸に配した数値は、5択で得た生徒の回答を得点化したもの。横軸では±0は「(充足感を得ることが)少しある」に相当し、縦軸で75ポイント以上なら否定定な回答の占有率は概ね10%未満となります。
分布を見ても、横軸方向で±0より左の領域(授業内活動を通じた充足感について否定的な回答が優位)では、学力向上の実感で75ポイントに達している授業はきわめて少ないことがわかります。
2015/07/17 公開の記事をアップデートしました。
❏ 正の相関は明らか。しかしながら、…
グラフ全体では、右肩上がりの比例関係がはっきりしており、活動性の高い学習が、学力形成という効果をもたらすことは間違いありません。ラーニング・ピラミッドが示す通りと思われます。
受動的な学習の限界、つまり「先生が正解を示し、生徒はそれを記憶して再現することだけが求められるような学習の場では、十分な成果は上がらない」ということが、改めてデータによって示されています。
❏ 他の要因も大きく介在
しかしならがら、活動量が上がればその分だけ直線的に学習効果も保障されるということではなさそうです。前掲のグラフを見ても、横軸の数値が同レベルにあっても、縦方向の分布は決して小さくありません。
学習効果を目的変数、活動性(授業内活動)を説明変数とする回帰式には、他のパラメータ(変数)が様々に介在しており、それらが残差(=近似線からの上下方向への距離)を生んでいるということです。
最たるものは、活動を通して目指しているところを生徒がしっかり認識しているかどうかです。
上のグラフでも、目標理解が十分な授業と不十分な授業とでは、近似線の位置そのものがズレており、授業内活動の度合いが同程度であっても、学力向上や自分の進歩を実感する度合いには明確な差があります。
そもそも、目標理解が基準値に達していない授業では、活動そのものが低調です。近似線が途切れる右端のはるか手前で分布の密度は大きく下がっています。横軸で+2を超える授業はほとんど見当たりません。
仮に授業内のアクティビティが用意されていても、目的意識があいまいなまま、盛り上がりにも欠けるということでしょう。
目的がわからなければ、単に指示に従っているだけですから、主体的な学習とはとても言えません。「充足感」ではなく「やらされ感」を持たれるのが関の山です。
❏ 目標の妥当性や、目標と活動の関連性は?
また、目標理解が十分であり、且つ活動を通じて得られる充足感が同程度にあっても、学習効果の実感には大きな差が生じていることは、下の拡大図を見ても明らかです。
横軸が+2~+3のレンジに着目してみると、学習効果は60ポイント台から90ポイント台まで幅広く分布しており、相関係数も0.66と低めに出ています。
活動中心に授業を組み上げる場合、活動そのものを目的のように取り違え、コンピテンシーの形成(=できるようになったことの増加)が視野の中心から外れてしまってはいけません。
別稿「活動を配列するときに考えるべきこと」で書いた通り、目指すべき到達状態(=学習目標)が先にあって、その実現に最適な活動が選択・配列されているかどうかが、縦軸方向での大きな差異に現れたものと考えられます。
活動にしっかりと取り組ませることも、活動を通して目指した「当座の目標」を達成することも大切ですが、当座の目標を達成した先に何があるのかをイメージできているかどうかがより重要ではないでしょうか。
また、ある日の活動を通じて身につけたスキルや知識、方法と言ったものを、次の日からの勉強の中で生徒自身が使ってみてこそ、生徒は自らの進歩を実感できるのだと思います。
教わったことや授業内の活動を通じて身に着けたことを、自分で試してみる機会がなければ、手応えを感じ取ることもできないのも道理です。予習・復習で何をさせるかも、改めてしっかり考えてみるべきです。
さらに言えば、自らの学びを振り返り、学んだことを言語化してみる機会を整備しているかどうかで、結果学力も有意な差が生じるという調査結果(学力に影響を与える要因分析に関する調査研究)が耳目を集めたのも、それほど記憶に遠くありません。
以下の記事も、お時間の許すときにご高覧いただければ光栄です。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一