タブレットPCが導入されている教室もどんどん増えています。黒板に書かれたものを生徒がノートに書き写す光景が、教室で見られなくなる時代も遠からずやってくるかもしれません。そんな時代に逆行することを申し上げるようで恐縮ですが、手を使って書き写すことの大切さを、もう一度改めて知るべきではないかと考えています。
2016/03/14 公開の記事をアップデートしました。
❏ 映示して見せたものも、ちゃんと観ている保証なし
スマホのカメラでインスタ映えする風景やら食べ物やらを撮影するのは簡単ですが、「写っているものの形態や特徴を説明して」と撮影した人に頼んでみても、ろくな描写はできないはずです。「見る」と「観る」は大違いだからです。
教科書や副教材に載っている図版や地図などは、ただ漫然と眺めさせたところで、そこに生まれる「学び」は大したものになり得ません。その図版や地図、グラフなどからどれだけの情報を読み取ることができるかが、学びの量と質を決めるはず。
読み取ったもの(特徴や傾向など)を必要に応じて言語化して周囲と共有することや、表現されているものの背後に存在するもの(メカニズムや問題)に十分な考察を巡らせることができてこその「学習」です。
その大前提となるのが「観察」。先生方が用意したスライドを生徒に見せ、プリントをファイルに綴じ込ませたとしても、生徒がそこから必要な情報をしっかりと読み取っているかどうかはわかりません。
❏ 書き写すには、注意深い観察と特徴の把握が必要
これに対して、先生が提示したものを生徒が手を使って書き写すとなれば話は変わってきます。目で見たものを手を使って書き写すには、注意深い観察と、その特徴を捉えるための思考が必要になるからです。
地図を書き写すだけでも、川がどこで曲がっていて、主要な都市がどこに位置するか、周囲の山はどこにあるかといった具合に、確認しないと正しいものをノートの上に再現できません。
ここに先生からの問い掛けが重なれば、「確認」に「思考」も加わります。山脈の位置と降雨量の分布がどう関係しているかを問えば、地図を書き写しながら、「なるほど、そういうことか」と理解も進みます。
スライドは正確な情報をスピーディに提示できますが、その利点が裏目にでると、確認や思考といった学習に必要なプロセスを意図せず損ねてしまうリスクがあるということです。
大して重要でないところまで、いちいち手を使って書き写させては、授業の効率を大きく損ねますが、要所では敢えて手間(手数と時間)を掛けるという選択もあって然るべきだと思います。
❏ 先生が板書したものには対象の特徴が凝縮される
手を使って書く/描くのは、生徒がノートを取る時だけに限ったものではありません。先生が板書をするときも、チョークやマーカーを手に、線を引き、図を起こしていきます。
スライドなどで提示する図版は、情報を間引くことなく、生徒の目に触れさせることができますが、手を使って板書するとなると、重要な部分にフォーカスし、他の部分は「間引き」をせざるを得ません。
これが却って、押さえるべきところ/特徴を強調するという効果を生み出します。当然ながら、板書しながら生徒に聴かせる説明でも、そこは十分に強調するはず。相乗効果で印象と記憶の刻み込みが進みます。
図版に限らず、グラフでも数値の変化などの特徴や傾向を掴み、その背後に働くメカニズムに思考を巡らすことが、新課程ではこれまで以上に重要になりますが、そうした「学習活動」を充実させるにも、手を使って書く/書かせるのは有効な手段になるのではないでしょうか。
❏ すべての教科の学習で、洞察力を鍛える
繰り返しになりますが、特徴を捉えて書き写すには、注意深い観察を通して特徴を捉え、本質を見抜くことが必要です。目にしたものに洞察を加える練習に「手を使って書き写す」という作業は好適です。
すべての教科で、それぞれのチャンスを生かして、洞察の力を生徒に身につけさせていきましょう。
理科の授業では、観察したものを手でスケッチすることの重要性は、ここで改めて申し上げずとも広く知られた「常識」だと思います。マクロレンズをつけたスマホで対象を撮影するだけでは「記録」は残せても、観察がないがしろになるのもしばしばだと思います。
地歴公民では、図版はもとよりデータを扱うことも多々あります。その一つひとつが如上のトレーニングの好機です。授業時間との兼ね合いもありますが、洞察の力の大切さを鑑み、十分な時間をそうした活動に投じているかは、常に意識して授業計画に反映させるべきです。
初見の図版やグラフを見て、生徒がどこまでポイントを捉えられているか、言語化させることで時々は確かめてみましょう。狙った力を生徒がどこまで身につけているか点検を怠らないようにしたいものです。
❏ 本文を書き写すことだって、やり方次第で…
国語や英語で本文を書き写すという単純な作業も、ただ目で追って読むだけのときより、注意力や観察力を強く働かせるはずです。
時短を目的にコピーを使わせるのも合理的な判断ですが、本来のターゲットである文章そのものを観察することには、特に初学者の段階では、もう少し重きを置いても良いのではないかと思います。
既にきちんと書写できる人が利便性からコピーを利用するのと、できない状態の人が最初からコピーで済ますのでは意味が違います。「高校生にもなって書き写す練習なんて…」とも思いますが、実際に書き写している生徒を観察してみると心許なさを感じることもしばしばです。
フレーズで捉えてひとまとまりに写せる生徒は、案外少ないもの。多くは単語ごとに、もっと手前でとどまっている生徒は単語をひとかたまりに写すことすらできていなかったりします。文法や構造、接尾辞などの形態素なども十分に意識できていないのではないでしょうか。
声を出しながらフレーズごとに書き写す練習を重ねることで、構造を捉えた正しい音読ができるようになったり、読解速度が上がったりという効果も報告されています。しっかり英文を見たら教科書を閉じ、ノートに復元するというタスクを加えれば、記憶力も上がりそうです。
道具の進歩で個人が扱える情報量が増えるほど、「観察の力」や非言語情報を解釈した結果を言語化する力はますます重要になります。その力を養っていくのに有効な手段の一つが「手を使って書くこと」とお考え下さい。書き写すことを目的とするのではコスパに劣りますが、学びのための手段としてなら、今の時代にあっても、目で見て手を使うことには、他に代えがたい価値があるのではないでしょうか。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一