到達目標は適正な水準にあるか~大学編(前編)

大学生があまり勉強しない――批判的な文脈でよく耳にする話題です。欧米に比べ、あるいは小学生と比べても、学習にかける時間が極端に短いとまで言われる始末。小学生と大学生を一緒くたにするのはどうかと思いますが、それはそれとしてひとまず脇に置いて…。
大学からお預かりした授業評価アンケートのデータを見ても、大学設置基準が「標準」とする、授業1回あたり2時間以上の勉強時間を授業外学習に投じている学生の割合は確かに多くありません。
でも、データを見ていると、学生ばかりを責めるわけにはいかないような気がしてきます。
平均学修時間を尋ねられて「授業以外、ほとんど勉強していない」という学生でも、「その授業の目標が達成できた/達成できる」と回答できる授業は多く、要求水準(≒目標)が低すぎるケースもありそうです。
目標を達成してなお、その勉強にさらに時間を投じ続ける必要はないかと思いますが、目標を低く抑え過ぎた結果として、学修時間が少なくなっているようなら、その授業には改めるべきところがあるはずです。

2015/09/28 公開の記事をアップデートしました。

❏ 到達目標の設定が適正かを判断するフロー(試案)

どのくらいの割合で、適正な水準に授業の到達目標が設定されているのか興味を感じ、下図のような「判定フロー」を考えて、手元のデータで試算してみました。

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上記のフローで「B」に区分される授業が、「120分以上の授業外学習により達成が可能となり、それ未満では難しい授業」、即ち、大学設置基準が求めていることを満たした授業ということになります。
ここでは120分を境に分けていますが、大学の事情やお考えに合わせ90分としても60分としてもかまいません。もし、高校卒業までに学習の習慣と方策を身につけていない学生が多いようなら、最初から120分にしないで、段階的に基準を引き上げていく手もありそうです。
また、3年生、4年生に比べると、1年生、2年生は履修単位数も多め。少し手加減しても良いかもしれません。
大学ごとに、また学部・学科系統でも大きく違いますが、たいていの場合、「B」に区分される授業の割合は「1割台前半から3割に届くかどうか」という範囲に収まります。
なお、上記フローのアウトプットであるA~Dのほかに、「120分以上の学習時間を投じた学生が皆無!」という授業も、全体の2~3割と、けっこうな数にのぼります。そんな授業でも大半の学生が「授業の目標は達成できる」と答えているケースが多く、ここに問題の根っこがあるような気がします。

❏ 甘やかした結果の「高評価」に胡坐はかけない

また、面白いことに、Aに該当する授業の方が、Bに該当する授業より授業評価(特に、教員側の努力に関する項目)の結果は、明らかに高い値を示しています。
学生は、自分が授業を理解できないとき、あるいは課題を達成できないときに、自分の努力不足を棚に上げて、教員の教え方にその責任を転嫁し、辛い評価をつけるというのは想定できるところです。
しかしながら、難解な内容に深く入り込むのを避けたり、本来なら負荷をかけて鍛えるべき場面をスキップしたり、という手段で授業評価の結果を高く保つというのでは本末転倒です。
こうした授業では、学生は、目標未達成というピンチに陥らず、如上の責任転嫁は発生しにくいはずですが、「努力はしていないけど、授業は問題なく理解できる」では、学生の潜在能力は開花せずに眠ったまま。
だからこそ、授業評価アンケートを行うときは、こうした「ある種の甘やかしの結果が混じった高評価」と、「適正水準の目標に挑ませる中で得た評価」とを峻別する必要があるはずです。
如上のクロス集計などの手法を併用して、到達目標の水準そのものが適正であるかどうかを調べた上で、評価の結果を見るようにしましょう。
こうした解析ができない仕組みで授業評価を続けていたら、「より良い授業の実現」に向けて、どう修正していくか、判断を誤るリスクを膨らませるばかりだと思います。
わかりやすいだけで、学びの深まりも不十分、学生の能力開発も余地を大きく残したままという授業を増やしてしまうことのないよう、きちんとデータの解析ができる仕組みになっているか点検が必要です。
後編に続く。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一