しっかり音読、問いを立てて理解の深化(英語の授業例)

ある学校を訪ねて参観した英語の授業では、教科書本文の音読を様々なバリエーションで徹底的に行った上で、生徒が3人1組になって本文の内容に関する「問い」をそれぞれ作っていました。A君の問いにはB君が、B君の問いにはC君がといった具合に互いに答えを作ります。
音読を重ねる中で、英文の構造なども十分に把握し、内容を捉えていく様子が見て取れましたし、後半のQ&Aを作るパートでは辞書の活用や教え合いなどで不明を解消しながら、本文の理解を深めていました。
あれこれと先生が説明することもほとんどないまま、生徒は新出語句を学び、構造を把握し、内容を理解するところまで学びを進めていたことに、「こんな学ばせ方もあるのか」と感銘に近いものを感じました。

❏ 音読を重ねる中で、構造と意味を把握

音読パートは、CD音源を聞きながら発音の注意点をピックアップすることで静かに始まりましたが、リピーティング、個人読み、ペア読みと様々な形での練習が続くうちに、徐々に生徒の声は大きくなり、発音は正しいものに近づいていきます。
正しく音読ができるようになっていれば、構造も意味も大まかなところでは分かっているということ。未習語は辞書で調べれば良いだけの話です。「読書百遍義自ずから見る」に通じるところもあるのかも。古文や漢文でも同じような場面を以前に拝見したことがあります。
もし、授業中の音読が、一斉読みを数回繰り返す程度のものなら、ろくすっぽ音が出せなくても、練習が終わるまでモゴモゴと誤魔化していれば済んでしまいます。当然ながらそこに大した進歩はあり得ません。
しかしながら、これだけ日々の授業で音読が徹底されていると、生徒もそんな消極的な姿勢を取っていられないようです。練習を通じて自分の進歩を実感できるにつれて、練習への意欲も高まると思われます。
授業が始まれば「音読の100本ノック」が始まるのを生徒は知っています。授業前の休み時間には、発音のわからない単語を電子辞書で調べたり、友達に訊いたりして確認する生徒の姿も方々に見られました。
ちなみに、音読についてはアルクの「英語の先生応援サイト」にとても良い資料( 音読の効果と指導の バリエーション)があります。

❏ 問いを立てることで本文をより良く理解

音読に続く「問いを立てるパート」では、本文内容のみならず、言語材料(文法、構造、語彙)のより深い理解が進みます。
問いを立てるには、本文に書かれていることをしっかり理解する必要があります。わからないところが残っていたら、辞書を引いたり、参考書を調べたりして、不明の解消を図ろうとするでしょうし、それでもまだわからない箇所があれば、周りの友達や先生に尋ねるはずです。
その中で、問いを立てながら(=対話しながら)テクストを読む力も身についてきますし、学習方策の獲得や学習者としての自立も進みます。

自分でちゃんとわかっていないところはなかなか問いにできないものです。例えば、「代名詞が指すものや省略されているもの」を問うことができた生徒は、既にその答えを突き止めているはずです。
自分だけでなく相手の生徒も「わかりにくい」と感じるであろう箇所を見つけて、そこに問いを立てることは、本文との対話の入り口です。
ひと通りの活動が終わった後で、「成果」をクラスで共有すれば、自分より深く考えている/思いつきもしなかったところにフォーカスしている「問い」があることを知った生徒が、「今度は自分も」と意欲を高めてくれるかもしれません。(cf. 生徒の答案をシェアして作る学び
本文との対話が不十分な浅い理解では「間抜けな問い」しか立てることができず、悔しい思いもするでしょう。次の授業でもっと「気の利いた問い」を作るには、観察と思考のレベルを上げるしかありません。
中には、面白いところに着目しながら、いざ質問や答えを英語にしようとするところで躓くグループも見られましたが、机間指導を行っている先生やALTからの適切な/必要最小限の助言やヒントを得てハードルを乗り越え、その先に進んでいました。
別の学校の授業では、答えの文を先に設定し、それを導き出す問いを考える(=疑問文を作る)という中々チャレンジングな課題に取り組ませていました。ファイリングされたワークシートを見たところ、回を重ねるごとに着実に進歩している様子が見て取れました。

❏ この「活動の配列」から学びえること

本稿でご紹介したのは、実践の一例にすぎませんが、活動の選択と配列の背景には、見落としてはいけない非常に意欲的なものがあります。

先生方のお仕事は「教えること」ではなく「学ばせること」

先生方のお仕事は、新課程への移行で「教えること」から「学ばせること」に変わってきています。生徒が自力で/協働で学べるのであれば、わざわざ教え込む必要はないでしょうし、不用意に教えてしまうことが生徒の学びを阻害するリスクすらあります。
教える部分を極力小さくして(当然ながら観察を密に、生徒の躓きには適切な/必要最小限の手を差し伸べる必要があります)、生徒が自力で学び、ハードルを乗り越えていくように仕向けていきたいところです。

学びを分散させず、掘り下げさせ、仕上げ切らせる

プリントをあれこれ作って授業で使っていると、学習が分散し、流れが捉えにくくなります。あちこちをつまみ食いしていては、学んだことを根付かせる/定着させる部分にも弱さが残るはずです。
副教材は、書籍として購入させたもの(辞書、参考書、用語集・単熟語集くらい)にできるだけ限定して、プリント類は最小限のワークシートとその場で読ませる「必然性」に疑いのない資料(cf. 複数テクストの比較で試す「読解力」)以外は用意しないというくらいの気構えを持っても良いのではないでしょうか。

単元内容を学ぶのは、能力・資質を獲得するための手段

別稿「カリキュラムは{学習内容×能力資質}で設計するでも書きましたが、何を学ばせながら、どんな資質・能力を獲得させていくか、そのためには各学習内容を扱う時にどんな学習活動をセットすれば良いかまで踏み込んで考えてこそ、有効に機能するカリキュラムが実現します。
教科書本文の内容を理解させることを唯一の目的であると考えては、丁寧な説明で生徒の思考を肩代わりしてしまうリスクが膨らみます。先生の手を離れたときに、生徒が自力で物事を理解し、自ら学んでいけるよう、その方法と姿勢を身につけさせることにこそ注力すべきです。
語彙や文法は、本文を読みながら参照型教材などで調べさせることを徹底すれば、先生が教えなければならないところはそれほど多くないはずです。安易に教えて済ませていると、生徒が自力で調べて必要な知識を得る姿勢と方法を学ぶ機会を奪ってしまうことにもなりかねません。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一