発表やプレゼンの評価、論述答案の採点などにルーブリックを適用してみたとき、生徒による自己評価の結果と先生方の目での評価の結果との間にどのくらいのズレが生じているでしょうか。
同じ評価/採点基準(観点別に定めた段階的な評価規準)に照らしている以上、基準の適用が正しくできれば、先生がやっても生徒がやっても結果は同じになるはずなのに違いが出ているというのは、生徒は観点や規準をきちんと理解できていない/適用できていないからです。
この状態を放置しては、自分の取り組みや学びを正しく振り返り、自分を成長させていく起点を持つこともできないことになりかねません。
2021/07/05 公開の記事をアップデートしました。
❏ 学習者にとっても獲得が必要な「評価者スキル」
学習者が獲得する評価者スキルとは、他者に対してのみならず、自分の取り組みやそこで生み出された成果に対しても適用されるものであり、正しく振り返りを行う上で欠かせないものです。
振り返りを通し、より良いパフォーマンスを得るために何を学び、どう取り組むべきかを考えることで成長は確かなものになることに加えて、メタ認知や適応型学習力も向上し、学習者として自立に向かえます。
模擬試験や実力考査でも、自分の答案を客観視できず、なぜ減点されているのかきちんと説明できない生徒は、次も同じような減点を繰り返すかも。より良い答案を書けるかと言えば、不安の方が大でしょう。
先生方が評価方法に工夫を重ねて最適化を図るとともに、評価の機会をきちんと作り、生徒の評価をしっかり行うことはもちろん大切です。
評価の結果に基づきその後の指導を組み立ててこそ、確かな学力が形成できますし、もし、先生方による評価が間違っている/行われていないのでは、冒頭で触れたズレを正しく捉えることすら叶いません。
しかしながら、先生方がどれだけ評価に汗をかいても、生徒自身が自己評価(=基準に照らした振り返り)を行わなければ、成長の機会を損ねかねません。「評価結果への説明責任は教師の側にあるのだから、生徒自身が評価や採点をできなくても良い」とはならないはずです。
❏ 先生/生徒間の評価結果のズレはどこまで解消?
教室での学習活動にルーブリックを導入した当初は、生徒も戸惑ったりやり方がわからずにいたりしたかと思いますが、自己評価・相互評価を重ねる中で、生徒は「評価者スキル」をどこまで獲得してきたでしょうか。タイミングを見て、点検をしてみる必要があると思います。
評価者スキル(=ルーブリックの観点別段階的評価規準を正しく理解して、対象に適用する力)を育む指導が一定の成果を得てきたかどうかは先生方による評価の結果と、生徒が行った自己・相互評価の結果との間に生じる食い違い/ズレの縮小という形に現れるはずです。
もし、評価者スキルを獲得させる指導を一定期間に亘って行いながら、そのズレが解消に向かわないようなら、指導は成果を結んでいないということ。先生方からのフィードバックや、生徒自身に評価理由を言語化させる機会の不足で、形だけの「評価」になっていたかもしれません。
また、生徒に自己・相互評価をさせてみると、自分への評価は控えめ、他の生徒への評価は盛り気味という傾向が見られるのもしばしばです。
評価基準をちゃんと適用できているか自信がないことに加え、「教室の空気を悪くしたくないという気持ち」や「評価を通じて、他者の成長に自分が寄与できることへの認識不足」などもあるのかもしれません。
こうした「評価の歪み」の原因になるものも、ひとつずつ解消していかないと、生徒の評価者スキルを高め、先生方の目による評価と生徒による評価の結果を近づけていくことは難しくなってしまいます。
❏ 観点ごとの段階的評価規準を理解させるのが先決
観点別に書き出した段階的評価規準に照らして、自分の取り組みや成果を評価するには、まずは評価規準そのものを正しく理解していることが前提であるのは言うまでもありません。
どんなに推敲を重ねて練り上げた評価規準も、評価の対象となるものと常にパラレルな形を持つわけではありませんので、深いところで理解しておかないと対象(行動、答案など)に正しく適用できません。
いくつもの対象に当てはめてみることを繰り返す中で、徐々に評価規準が言っていることを、多角的に且つ深く(=様々な対象に応用できるところまで)理解させていきましょう。
上手くできるようになるには、それなりの練習/試行錯誤が必要ですので、成果が表れるのは焦らずに待ちながら、粘り強く指導しましょう。
❏ いくつかサンプルを用意し、基準適用の練習を積む
例えば、「説得力のあるスピーチをしよう」との目標でスピーチ作りの学習活動に取り組ませる場面を思い浮かべてみてください。
先生はいくつかの観点で説得力のあるスピーチが満たすべき要件を考えて、それぞれの観点に(段階的な)評価規準を起こすはずですが、それをポンと提示しただけで生徒が理解してくれたら誰も苦労しません。
幾つかのサンプル(スピーチの動画や音声)を用意して、生徒に見せ/聞かせてみるところから、評価規準理解の指導が始まります。
それぞれの観点について、どの評価を与えたか挙手させた上で、評価した点、減点した点などを具体的に言葉にさせていきましょう。ICTを利用してアンケートフォームに回答させれば、カウントの手間も省けますし、回答も記録でき、評価のばらつきや相違の出方も把握できます。
生徒間で評価をすり合わせる機会を重ねる中で、どんな状況がどの段階的規準に当てはまるのか、生徒は徐々に学んでいきますし、対象を観察するときに見落としてはいけないことも覚えていきます。
❏ 生徒の発言に触れて、先生も評価規準をより深く理解
当然ながら、先生も「評価者の一人」としてこの輪に加わっていただきますが、結論を先回りして口にしたり、生徒が考えたことを安易に否定したりしないように気を付けましょう。
生徒がなかなか気づいてくれなかったり、変な方向に行きそうになったりしたときも、「そうじゃないだろ、こうだよ」ではなく、「この辺はちょっと気になるんだけど、どう思う?」と声を掛けたいところです。
生徒が、評価すべき対象ではなく、先生の顔色に注意を向けるようになっては、ここでの指導は成果を結びにくくなっていくばかりです。
評価練習に取り組む生徒の発言に触れて、先生ご自身もまた評価規準の理解を一緒に深めていくくらいの意識で、指導の場に臨みましょう。先生も生徒も、評価者としてのトレーニングが必要なのは同じです。
❏ 生徒にも、評価/採点基準作りにチャレンジさせる
学習が進み、生徒がルーブリックの使い方に慣れ、個々の場面で用意した基準をある程度まで正しく理解できるようになってきたら、評価規準作りそのものに生徒を参画させる場を作りましょう。
誰かが評価/採点基準を作ってくれていれば適用できるという状態と、そうした基準がなくても取り組みや成果の良否を判断でき、且つ、充足すべきもの(足りていないもの)が何かを特定して、それを他者と共有できる状態との間には、雲泥の差があるはずです。
生徒が学校を巣立ち、先生方の指導を離れた後も、自立的に学びを進められる土台を作ってあげることが指導に当たる者の責任だと思います。
良否が混在する様々な取り組みやパフォーマンスに触れさせて、「より好ましい」と感じられる一方が、他方に対してその優位を得ている「理由」を考えさせ、それを言語化させてみましょう。
きちんとした言葉になったら、もう少し広い範囲に適用できる表現に改める(=抽象化する)ことで、汎用性を備えた評価規準が作れます。
言葉にするとややこしいですが、要は、先生方が普段の生徒指導の中で行っている「評価基準作り」を生徒にも、出来る範囲で経験させましょうというだけのこと。先生方のご経験そのものが生きるはずです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一