各教科で実践する「探究的な学び」

総合的な探究の時間だけでなく、各教科の授業でも「探究的な学び」を生徒に経験させようとする取り組みが広まっているのを実感します。
先日、授業公開でお訪ねした学校でも、保健の授業では生徒がそれぞれのテーマと切り口で行った調べ学習の発表場面を、公民では企業と金融についてのシミュレーションを行うグループワークを見かけました。
大学入学共通テストでも、「探究的な学び」の場を想定した出題をよく見かけます。現場の先生方の意識にも高大接続改革や新課程への移行で変化が生じ、それが日々の授業に反映されてきたということでしょう。
こうした流れの中で、見逃せない課題が3つあるように感じます。

  • 探究的な学びを支える「学びの技法」の獲得を同時に図っていると の意識が不十分なこと
  • 各単元の学習内容の理解が不十分なまま、調べ学習などに進ませた 結果、学びが拡散していること
  • 調べたりしている割に、問いの更新が起こっていない(最初の想定 の確認に終始している)こと

これらの「よく見かける問題」について、何を起点に生じているのか、どのような対処が求められるのか、考えるところをまとめてみました。

❏ 各教科の学習で「探究の方策」の基礎をきちんと築く

別稿「教科学習指導と探究活動の重ね合わせ」でも書いた通り、各教科で探究的な学びを経験させるのは、以下のようなスキルや姿勢の獲得を狙ってのこと。これらは「学び全般(探究を含む)の土台」です。

  • 読んだり聞いたりして集めた情報を知に編む力
  • 理解したことをもとに思考を深め、広げる力
  • 疑いを持ち、一つひとつ真偽を確かめていく姿勢

こうした力を日々の授業で身につけた生徒と、そうでない生徒では総合的な探究の時間での取り組みへのレディネスに大きな違いが生じます。
日々の授業の中で探究的な学びを経験させるなら、こうした力を獲得させることが目的であることを常に念頭に置き、生徒一人ひとりの学びがきちんと進んでいるか、観察・評価を意識的に行う必要があります。
生徒が取り組む様子や発表を観察していて、調べ足りなかったり、書かれていることを鵜呑みにしていたりといった兆候が見て取れたら、問い掛けて「取り組みに足りなかったところ」に気づかせていきましょう。
こうした評価とフィードバックなしには、せっかく時間を割いた活動も成果を得にくく、探究の方策の基礎を築くという目的に近づけません。
言うまでもありませんが、各教科の通常授業でも、「教科書や資料を読む、物事をきちんと観察して問題を見つける」といったトレーニングを意識的に積ませましょう。それらが探究の方策の基礎になります。

❏ 単元の学習内容を深めないまま、学びが拡散する

問題の2つめは、「探究的な学び」に意識と時間が振り向けられる中、科目(単元)に固有な学習内容の理解が疎かになりがちなことです。
知識や理解が思考を進める上での土台(道具)である以上、それらの着実な獲得なしには、調べ学習などで学びの拡張を図っても、深さの足りない、土台の不確かな学びにしかならないはずです。
教科書に書かれたことをきちんと理解していることは、その先に進むための前提要件。単元内容を俯瞰し得る問い(ターゲット設問)を与え、その答えを作り出す工程(PBL的な学び)に取り組ませましょう。
知識・理解を得るために、教科書や資料を読む、周囲と話し合うといった学習活動に取り組む中で、単元理解の核が作られると同時に、生徒の内に思考や表現の力が育まれ、学習方策の獲得が進みます。
また、調べ学習やグループワークのテーマ選択を生徒に任せ過ぎてしまうのも問題です。学びの焦点を的確に定められず、あらぬ方向に学びが拡散(迷走?)してしまうリスクが膨らむばかりです。
先生方が用意する問いで、知の世界を拓く「切り口」を学ばせつつ、単元を学び終えるところで、学習内容を振り返り、掘り下げるべき疑問を探すタスクを与え、生徒にも問いの立て方を学ばせていきましょう。

別稿でも書いた通り、教科書内容の理解を「学びのゴール」としないことは大事ですが、教科書に書かれていることくらいはきちんと踏まえておかないと、その先にまともなゴールは設定できないと思います。

❏ 調べ、考えているのに、問いの更新が起こらない?

3つめの問題は、生徒の発表を見ている限りですが、多くの生徒が当初の予想に沿って調べを続け、想定と違わない材料(情報)だけを集めているようにもみえるところに存在します。
どんなことでも、調べる範囲を広げていけば、それまで知らなかったことに出会い、それにより、当初に思い描いていた結論とは違うところに答えがあると思い直すことも少なくないはずです。

予断で情報にフィルターを掛けることなく、事実に向き合っていれば、自分の想定が間違っていた可能性に気づいたり、情報間の矛盾を見つけたりするもの。その時に、どう対処できるかがより良く生きる(=正しい選択を重ねる)ことに繋がるはずです。
生徒の発表を聴いたり、中途の過程を見守ったりする中で、生徒が一つの視点に縛られているようなら、適切な問いを与え、生徒の考えをせき止めていたものを外してあげるのが指導者としての役割でしょう。
当初の想定にそった結論に突き進もうとしている生徒は、都合の悪い情報に接したときに感じ得たはずの違和感を見落とし(あるいは考えなしに棄却し)、思考を止めてしまっているかもしれません。「こういう見方もあるようだけど、どうなの」と尋ねてもらえるかは重要です。

また、成果発表では、相互評価をさせることも多いと思いますが、良い所を挙げたり、感想を綴ったりすることが目的ではないはず。発表の中に疑問を見つけ、それを伝え合うことで生まれる「対話」で「より良い答え」に近づくことの価値に意識を向けるべきです。
そうした姿勢や意識を持たせるにも、先生方が生徒の発表に対してどんな「ツッコミ」を入れて見せるかが重要な役割を持つはずです。
調べ、考え尽くしたところに、(周囲からのツッコミや自らの思考で)新たな問いを立てる(=問いを更新する)ことにこそ、真理に近づくための鍵、探究の意義があるのではないでしょうか。調べたことを発表するのはゴールではなく、本当の学びのスタートなのだと思います。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一