イノベーションをもたらす認知の網と偶然との出会い

新しく見聞きしたことを理解したり、そこに問題を発見したりするのは、もともと持っていた知識と新たな情報が接点を持ったということ。
新たな情報が放り込まれたところの周辺に、既に蓄えられていた知識が待ち受けていないと、情報は接点を得ることなく素通りしていきます。既に知っていること/理解していることは、新しい情報を拾い上げるための「認知の網」として機能します。
学びや体験の欠如で「網」が張られていない/穴が開いている領域では、どんなに重要な情報が入ってきても、新たな理解や発想を形成することもなく、あっという間に認識の外にこぼれ出ていってしまいます。
一方で、物事を選り好みして、苦手なものを避けているのでは、入ってくる情報の幅が狭くなり、新たなな接点が生まれにくくなります。様々なものにチャレンジして「偶然との出会い」を増やすことも大切です。

2018/10/31 公開の記事を再アップデートしました。

❏ ブレークスルーを起こすのは、蓄えられた知識と発想

ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したのは多分に創作でしょうが、様々な現象を観察し、勉強を通じて他者が作り上げた多くの知を採り込み、じっくり思索を重ねたという「土壌」がなければ、そうした大発見は起き得ないものだと思います。
蓄えていた知識や、様々な課題の解決に取り組む中で獲得した思考の様式(問題発見や解決などのプロセス)が豊富なほど、何かの拍子に飛び込んできた情報に、より大きな意味を持たせることができます。
あるテーマや分野について四六時中考えていれば、その領域(と周辺)には知識と発想が蓄積されていきます。
そこに何かの偶然で「最後のピース」となる情報や知識が飛び込んできたときに、ブレークスルーが生まれるのだと思います。
ブレークスルーの後には、アイデアを具体化する苦労や、仮説を検証する山のような努力が待っているでしょうが、土台になるのは、偶然のひらめきを捉えきれるだけの「認知の網」を張っておくことです。

❏ 最後のピースを手に入れるのに必要な偶然との出会い

どれだけの知識や発想を蓄えていても、最後のピースとの出会いがなければ、何かのひらめきをもたらすことはありません。
そのピースを手に入れるには、計画的偶発性理論が云うところの「予期せぬ偶然との出会い」が欠かせないものになります。
選り好みせずに様々な体験を重ねることも大切であり、目的に強く意識が縛られ過ぎて、関連が強く見て取れないことを軽んじたり避けたりしては、偶然との出会いを遠ざけるばかりだと思います。
私自身、仕事をする中、それまで経験のないタイプのデータを預かったり、特段の目的を持たずに方々の教室を覗きに行ったりする中で、最後のピースを手に入れることが少なくありません。
そうした場面では、それまでも知っていたことが別の意味を持つことに気づくこと(=意味の拡張)もあれば、個々バラバラであった理解が頭の中で一つの形を作り出す(=統合される)瞬間も経験します。

❏ 知識と思考経験が作る理解力が試される新しい学び

高大接続改革以降、新しい学力観の下で、答えが一つに定まらない問題や最適解が確立していない問題に生徒が挑む機会が増えてきました。
既に学んでいた解法を記憶から取り出して答案上に再現するだけでは、こうした問題に対応できないことは言うまでもありません。

問題文中に与えられた情報を「解を構成するピース」として使えるかどうかは、それまでの学習の中で獲得してきた知識・理解、別問題を解くときに使った発想などと、どう組み合わせられるかしだいです。
認知の網の張り方によって、所与の情報の中にどんな課題を見出すか、どんな問いを立てて切り込めるかは、大きく異なったものになります。
題意の周辺に多くの知識があれば、より深く題意を理解できるでしょうし、どこに軸足を置き、どう問題に切り込むべきか多くの選択肢を思い浮かべた上で、最適なものを選ぶことができるはずです。
実社会の問題にでも、目の前に起きていることを正しく理解し、そこに解決すべき課題を見出せるかどうかは、認知の網の張り方次第です。
冒頭に書いた通り、ものごとの理解は、新たな情報が既得の知識と接点を持つことで形成されますので、認知の網が穴だらけでは、目の前にある物事に、どんな課題が含まれているのかも把握ができません。

❏ 卒業後の人生で、正しい選択を重ねられるように

認知の網と偶然の出会いの大切さは、学校を卒業した後の人生でも変わりません。状況を的確に理解し、広い視野の中で正しい選択を重ねていく(=より良く生きる)ために不可欠な根幹のひとつだと思います。
ことわざにある「知らぬが仏」(Ignorance is bliss.)は、余計な悩みに煩わされないようにするには「有効な処世術」かもしれませんが、変化が加速する現代では「無知は決して至福ではない」はずです。
認知の網を広く、偏りなく張らせることに注力しましょう。現実に身近に迫る危機や周囲に存在する課題に気づかないでいては、リスクを膨らませるばかりです。
生徒にはことあるごとに、

  1. 授業において、好き嫌いや必要性で科目を分けず、広く学ぶこと
  2. 探究活動などで課題にじっくり取り組み、思索の経験を積むこと
  3. どんなことにも積極的に挑戦し、偶然との出会いを楽しむこと

の大切さを伝え、そんな場面をしっかり作ってあげたいところです。
準備(1.と2.)がしっかり整ってさえいれば、ひょんなこと(3.)をきっかけにして、自分が社会の中で果たすべき役割や自分事としての課題を見つけることもあるのではないでしょうか。
最後のピースが見つかるまで、周辺の知識がどう役立つかわからないことを、生徒にはよく知ってもらいたいと思います。

❏ 課題解決は知識を使った情報の分解と再構成

課題解決というタスクもまた、課題が与える情報を、既得の知識という道具を使って分解し、解が求める形に再構成することに他なりません。
世界を変えるような大発明も、様々な(時に小さな)課題解決のプロセスで構成させれています。既知のありふれたパーツも、新しい組み合わせで用いれば「発明」になりますし、それが問題の行き詰まりを一気に解消するブレイクスルーになることも多々でしょう。
繰り返しになりますが、同じものを見ても、そこにどんな課題を見出し問いを立てられるかも、最後のピースを手に入れられた時にそれを効果的に使えるかどうかも、周辺の知識や発想の方法をそれまでにどれだけ備えていたかどうかに大きく左右されます。

地域が抱える問題や、身の回りの課題の解決を図るときにも、まず求められるのは、状況を正しく認識することであり、その前提となるのは、認知の網を広く偏りなく張っておくこと、情報を分解する道具である知識を十分にそろえておくことではないでしょうか。
イノベーションをリードできる人を育てることは、教育に向けられた大きな期待ですが、そこに近づくための足場づくりは、教科学習指導をはじめとする日々の教育活動の中で、認知の網をしっかり張らせ、偶然との出会いの場を十分に用意することにあるのだと思います。

❏ 認知の網を広く偏りなく張ることを目指して

当ブログでは、以下の拙稿でも「認知の網」という言葉を使いました。

言わんとしてきたのは、人の脳は、知っていることとその周辺のことしか認知しない(当然ながら理解もできない)ので、好き嫌いなく、広く学び、高等学校を卒業するまでに認知の網を偏りなく、大きな穴を残すことなく張ることが大切ということです。
社会が抱える課題の多くは、様々な分野を専門とする人々による協働で解決されるものであり、分散知(集合知)をうまく活用する必要がありますが、その土台になるのは広く偏りなく張られた認知の網です。
それぞれの専門家が、専門領域の周辺に広く認知の網を張っておけば、重なり合う部分が広がり、課題解決に向けた協働のチャンスもより多く生まれるのではないでしょうか。
そこにこそ、社会が抱える問題を解決するブレークスルーや、生活をより安全で豊かなものにするイノベーションが生まれるのだと思います。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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