当ブログでしばしば取り上げてきた「問いを立てる力」は、単なる学習技術ではなく、「より良く生きる」ために欠かせないスキルです。身の回りの「当たり前」の中に問題を見出し、その解決策を考え、実現することによって、社会とそこでの暮らしはより良くなります。
当たり前のことですが、問題を見つけられないことには、解決への道筋をつけるところには到達せず、いつまでも同じ問題を抱えます。
総合的な探究の時間で生徒に取り組ませている活動は、こうした力(問題発見力、問題解決・創造力=思考力の一部)を獲得させるため。同時に持続可能な未来への責任(=実践力の構成要素)を育むためです。
別稿でも書いた通り、問いを立てることは解決すべき課題を設定することです。探究活動の「テーマ選び」は指導に当たる先生方が苦労するところですが、「テーマを選ぶ」ではなく、「答えを創るべき問いを立てる」という表現を当てた方が、意図は正しく生徒に伝わると思います。
❏ 問いを立てる力を階層的に捉えてみる
人が社会の一員として「より良い未来」を築くには、単なる知識の蓄積だけでは不十分。「社会を変えるのは、答えを知っている人ではなく、問いを立てられる人」という言い方には、多くの人が納得しそうです。
より良い社会に近づけるために解決すべき問題は、頭で考えているうちに湧き上がってくるものではありません。身の回りのことや見聞きしたことに注意を向けて(=観察して)、何らかの疑問を抱くところから、さらに思考を重ねる中で、解を導くべき問いが具体化していきます。
観察をベースとする(初期段階の)問題発見力、批判的思考に加えて、対話を通じた発想と知見の拡充、それらを土台に拡張する創造的思考は問題解決の戦略をアイデアとして考えるときだけでなく、それを社会に実装するための仕組みに具体化するところでも不可欠です。
これらの力や姿勢(そこで必要になるスキル)をしっかりと考えてみないことには、生徒への指導を計画する(=探究活動のプログラムや体験学習などをデザイン/立案する)こともままならないはずです。
❏ 最初のフェイズは、観察した中に疑問を抱くこと
世の中には様々な問題が存在し、解決を待っていますが、その多くは日常に埋もれ、「当たり前」と見逃されているもの。それらを「問題」と認識できなければ、解決に向けた行動も起こることはありません。
報道を見聞きしたり、資料やデータを読んだりする中に「これってそのままにしていいの」と感じることもあれば、何かの現象をみて「一体どうなっているのだろう」と疑問を持つこともありますが、そこで何もしないと、問題発見に繋がる芽は育つことなく見失われます。
ここでやるべきことは、さらに調べて、問題や疑問の正体をより具体的に捉えること。詳しく知らないことには適切な問いも立てられません。
「この問題は、なぜ解決されずに残っているのか」
「問題の根っこはどこにある?どこから手を付けるべきか?」
「この現象はどうして起きるのか?コントロールできないのか?」
最初に抱いた漠然とした疑問が、具体的な「問い」の形を取るようになってこそ、問題へのアプローチも考えられるようになります。問いが分化・具体化するにつれて、扱える(解決を図る)可能性が高まります。
日々の教室や体験の中で、観察の中でいだいたものを言語化して、問いの形に整える「練習」を積んでいた生徒と、そうでない生徒では、この最初のフェイズでできることにも、大きな差が生じるはずです。
❏ 論理的・批判的に考える機会をしっかり整える
最初は「違和感」に近かった疑問や問題意識を、具体的な問いに整えていくときも、その解決法を考えるときにも、論理的思考や批判的思考といった力が必要ですが、放っておいて身につく力ではありません。
あらゆる能力・資質に当てはまることですが、発揮させてこそ、鍛える機会が得られ、さらに伸ばすための評価も行うことができます。
生徒が、論理的に(=筋道を立てて)考え、当たり前としている前提も疑い、他の捉え方と比較して優劣を判定する機会を、先生方がどれだけ整えるかで、論理的思考と批判的思考の力の獲得が左右されます。
問題解決工程の各フェイズの中で、以下のような問いを自ら発することができるようになることを目指したいところですが、まずは先生方がお手本を繰り返し示す(=問いを発して見せる)ところから。生徒は先生方の振る舞いを真似るところから多くを学びます。
物事の中から問題を見いだすフェイズ
- この状況には、どんな矛盾や不整合があるだろうか?
- 今の状態が続いた場合、どんな影響が生じると考えられるか?
- この『当たり前』は誰にとって当たり前なのか?
- この出来事に対する見方は、特定の立場に偏っていないか?
その問題を定義し解決の方向性を決定するフェイズ
- この問題の本質は何か?枝葉の問題とどう区別できるか?
- 問題の因果を、時間の流れに沿って整理するとどうなるか?
- この問題意識には、どんな前提や価値判断が含まれているか?
- 他の立場から見たとき、同じ問題はどう定義されるだろうか?
解決方法を探して計画を立てるフェイズ
- この課題に対して使える既存の方法や事例には何があるか?
- 他の解決策と比べたとき、効果・コスト・リスクのバランスは?
- この解決策は、特定の人や立場に偏って利益をもたらさないか?
- この方法以外に、より公平で持続的なアプローチはないか?
結果を予測しながら実行するフェイズ
- この方法を実行した場合、どのような結果が予測されるか?
- 仮に想定どおりに進まなかった場合、どこで見直す必要があるか?
- 自分たちの予測は、希望的観測や思い込みに基づいていないか?
- この実行計画は、誰にどんな負担をかけることになるのか?
振り返って次の問題発見・解決につなげていくフェイズ
- 実施した内容のどこが有効だったか?どこが想定と違ったか?
- 今回の結果から、次に取り組むべき課題は何か?
- 結果の評価は、十分に多面的・客観的に行われているか?
- 思考プロセスに、見落としていた視点やバイアスはなかったか?
論理的思考、批判的思考に裏打ちされた「直観」が十分に働かないことには、より広く、深く調べようにもやみくもになりがち。無駄が多いだけでなく、肝心なところにサーチライトが向かなくなりがちです。
情報があふれる現代においては、「何が本当に正しいのか?」を見極めることが重要。問いを立てさせて「鵜呑みにせず考える力」を育みましょう。問いにより、多角的な視点を持つことは、偏った情報や思い込みにとらわれず、より適切な判断ができることを意味します。
❏ 解決策の創造やアイデアのブラッシュアップにも問い
より良い社会を創るためには、新しいアイデアを生み出すことが不可欠です。従来の発想にとらわれず、自由に思考を展開していく必要がありますが、ここでも思考を繋ぐ上で重要な役割を果たすのが問いです。
問いを投げ掛けることで、周囲と同じ問題意識を共有することができ、分散知を上手に活用できる土壌が整います。
例えば、シェアリングエコノミーの発展は、「所有することが本当に必要か?」という問いから生まれましたが、この問いに触発された人々が社会の仕組みを根本から問い直し始めた中に、ドラスティックな変化が生じました。「問いの伝搬」が社会全体を動かします。
対話の中で行われる気づきの交換が発想を拡充し、ブレイクスルーをもたらすのは、改めて申し上げるまでもありませんが、その土台も「問いの共有」でしょう。考え尽くしたことを言語化し、問いの形で伝えることで、他者の持つ経験や知識、発想を動かし取り込んでいきます。
アイデアを解決策として社会に実装していくには、その仕組みをデザインする必要がありますが、そこにも多くの知恵と尽力の集積が不可欠。
健全な対話(深い議論)を実現するには、自らの思考や発言に対しても「問い」を立て続け、常に俯瞰してみることが大切だと考えます。
- この問題に関心を持つ人は誰か?
- 意見が異なる他者と共通点を見つけるにはどうすればいいか?
- 異なる価値観の人々と協力するには、どんな工夫が必要か?
社会をより良くするのは、個人の発想ではなく、それを共有する他者との協力。対話を通じて納得解を創り出せるかどうかが問われます。
問いを立て続けることが、社会を前進させる原動力になります。「現状を受け入れるだけでなく、どうすればより良くなるか?」を常に考え続けることが、社会の発展につながります。
事業を営むときも、「このビジネスは社会にどんな影響を与えているのか?」という問いを持ち続けないと、知らぬ間に利益追求という暴走をしているかも。政策の立案でも「誰かに不当な痛みを強いていないか」との自問は、常々忘れないように意識したいところです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一