大人数授業での質問対応の工夫[大学編]

中高と違い、大学では比較的大人数で行う授業が(昔ほどではないとしても)少なくありません。学生が多ければ、一人ひとりの疑問や「わからないこと」に丁寧に向き合うのは自ずと難しくなりますが、そうした疑問やつまずきを察知できなければ、学びは確かなものになりません。
学生が言語化した疑問は、その先の学びを押し広げる入り口です。口頭での発言以外にも質問フォームへの投稿などの形も取れます。しっかりとその場を作り、より深く確かな学びの起点の共有を図りましょう。
また、学生からの質問に触れて、何が伝わっていないのか、どこで学生が躓くのかを見定めていかないと、伝達スキルを磨く機会も逸します。
履修者数の多い少ないに関わらず、しっかりと学生の理解を確かめ、抱えている疑問や不明には、学びが次のステージに進む前にきちんと対処し、その解消を図らせるサポートを着実に行いたいものです。

❏ 学生からの質問を引き出すことの効能

学生の質問には何らかの対応(別稿「質問に答えて不明を解消してあげる前にやるべきこと」に書いた通り、直接的に答えるだけではありません)が必要ですが、質問させること自体にも大きな価値があります。
ひとつめは冒頭にも書いたこと。学生からの質問を受ける中で「伝えたつもりなのに伝わっていないこと」の所在を知ることができます。
小テストなどで「教えたことが学生の記憶に残っているか」を点検しても、そこで確かめられるのは「覚えたかどうか」だけ。学生が発した質問には、説明したことを曲解したり、前提理解を踏まえきれずに理解の形成ができなかったりした「痕跡」が読み取れるはずです。
ふたつめは、「一人の疑問」は他の生徒も含めたクラス全体の学びを深め、広げていく起点になることです。他の学生の質問に触れて、「自分も理解できていかなかった」ことに気づくのはよくあります。
質問に答えて知識・理解の不足を直接的に補うこと以外にも、教科書や資料で確認をさせたり、自ら調べさせたり、あるいはより本質的な理解に近づくための問いを与えて考え、話し合わせることも可能です。

さらに3つめとして、科目の内容やその先にある事柄への興味関心を高める作用も期待できます。質問は「単純にわからない」ところだけではなく、さらに深く知りたいところにも浮かびます。
ある学生の「その先の学びに繋がり得る興味」を言語化させ、クラスでシェアすることは、関連内容(学生のキャリアに大きく関わることも含む)を覗き込ませるための優れた入り口にもなるということです。

❏ 人数の多さを不利にしないための工夫

上記の機能はいずれも学生が多いほど効率的に働きます。少人数だと、不明の発生も個々に異なるため傾向は捉えにくく、気づきの交換(相互啓発)も、「学生間を繋ぐ線」の少なさで、乏しくなりがちです。
しかしながら、人数が多ければ質問対応が難しくなりがち。実際のところ、授業評価アンケートのデータでは、履修者数と、教員の質問対応に関する評価(質問のしやすさや質問に対する先生方の的確な対応など)の間には、弱いながらも「負の相関」が観測されます。
大人数のクラスでは、人数の不利を跳ね返す相応の工夫が必要ということです。実際にデータを見ると、かなりの大人数(高校までの2クラス分に相当する80名を超える)でも、10名以下の場合の平均を上回る評価を得ている授業も多く、「工夫の余地」は十分にありそうです。
授業中に「質問はありませんか」とフレンドリーな声を掛けたとしても質問はなかなか出ないもの。大勢の前で質問することに腰が引ける学生がいることも想定しなければなりません。
授業後に教室に残り、質問に来た学生の対応をしても、数人が並んでいれば順番を待てずに次の用事に向かう学生もいるはず。「質問できなかった体験」の積み上げは、質問の意欲を失わせていきます。
対処には色々なアプローチが考えられますが、以下のようなものであれば、汎用性も高く、様々なケースで応用が可能ではないでしょうか。
・質問は投稿させ、よくあるものには教室で、それ以外は個々に対応

・先生方への質問の前に、周囲でシェアさせ解決を促す(先生も支援)
それぞれの具体的なやり方は後段で詳述しますが、その日の授業、そこまでの学びを振り返らせ、その中に見つけた疑問や不明を言語化させることが先決です。それをどう吸い上げ、答えなどを返していくかは、状況にあった方法を考えていけば良いのではないでしょうか。

❏ 質問を投稿させて、全体の学びにしていくアプローチ

大人数のクラスになるほど、質問することに対する心理的なハードルは高くなります。少なからぬ学生が、衆人環視の中で手を挙げて発言することに、恐れや戸惑いを抱いている可能性は十分に想定しましょう。
また、口頭で質問をする際には、ある程度の説明力や言語化スキルが求められるため、内容はあっても質問の形にできずに終わってしまうというケースもあります。その結果、質問できる学生とそうでない学生との間で、学びの機会に差が生じかねません。
授業が進んでいく中で、学生が質問を練っている時間はなかなかないはず。そのうち、次から次に入ってくる新しい情報に、せっかく浮かんだ疑問も押し流されて、短期記憶から消えてなくなります。
これらをまとめて解消し得る方策の一つが、質問を投稿できるチャンネル(Google フォームなど)を用意すること。思いついた疑問をフレーズだけでも文字にしておけば、後から質問に整えることもできます。
投稿された質問に目を通し、好適なもの(=他の学生の学びにもなるもの)を選び出していけば、教室での学びをさらに膨らませていく材料が得られるはずです。cf. 生徒が立てた問いを起点に作り出す対話と学び

❏ 先生方への質問の前に、周囲とシェアさせ解決を促す

学生が抱える疑問や不明のすべてが、必ずしも先生方による「答えや解決策」を必要とするわけではありません。むしろ、不明の解消を学生自身のタスクとしないと、学習方策の獲得が進まない、思考力が育たないといった「問題」も生じます。
学生自身が調べれば良いものもあれば、学生どうしの教え合いや話し合いを通じて、解決や理解の深化を図れるものもあります。教科書に書いてあることまで、該当箇所を読ませることもなく、説明して理解させることが本当に教育的なのか、大いに疑問です。
質問の一つひとつについて、「どう扱うべきか」を的確に判断し、「調べさせる」「教え合わせる」「話し合わせる」を選択することが、好ましい学びを作ります。それでも解決しないときこそが先生方の出番、初めて「教える」という選択が合理性を持つところです。

学生の疑問を教えて解消してあげることが「優しい良い先生」とは限りません。結果的に、学びのチャンスを奪ってしまうこともあり得ます。
補足ですが、TAを配置しているクラスでは「学生の不明・疑問に、安易に答えを与えない」という方針を徹底しましょう。後輩である学生に対して、つい親切心から手を差し伸べすぎることがあるようです。TA導入で平均学習時間が低下してしまったケースも珍しくありません。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一