学校評価アンケートの回答データを分析していると、先生方と生徒・保護者、あるいは先生方の間でも「学校が目指す方向」について根っこの捉え方が違っているのではないかと思えてならないことがあります。
新時代を見据えて新たに特色ある教育活動を設けているのに、そこへの関心の度合いが三者で大きく違ったり、先生方の間でも分掌や学年などの立場によってコミットの度合いが一様でなかったりするようです。
それぞれの立場で思いが異なるのは普通のことでしょうが、学校を挙げて力を入れようとしている部分での意識差は、可能な限り解消したいもの。目標達成に向けた協働も進まなくなりますし、意識の違いが拡大した先に「分断」のようなものが生まれては一大事でしょう。
❏ アンケートの回答分布の違いの背後には価値観の違い
学校評価に限らず、アンケートで尋ねられたことへの答えは、回答者それぞれが備える「価値観」や「期待の度合い」に照らして選ばれます。
期待が小さいところでは、多少の問題を孕んだ状態でも、不満を明確に伝える答えは選ばないもの。大きな価値を置いていないことがらについて尋ねられたときも、あまりシビアな評価はしないものです。
逆に期待が大きいところや、思い入れの強いことには、少しの不備でも不満が膨らみ、強い否定を含む答えを選びます。
学校行事など、その内容に全体で違いがないところでも、回答の分布/評価の結果にばらつきが出るのは如上のメカニズムによるものです。
同じことは、生活指導をはじめ、あらゆるところで起こります。「生徒は集団生活のマナーを身につけ、規律ある生活を送っているか」という質問に対し、生徒は高い評価、保護者もそこそこ、教職員だけが非常に厳しい評価をしているのは珍しいパターンではありません。
先生方は、生徒の現状に不足を見て取り、さらなる改善の必要を感じているのに対し、生徒は「ちゃんとできていますが?」、保護者も「こんなものではないですか?」という捉え方だとすると、さらなる指導を進めようとしたときに双方に生まれるのは「ストレス」だけでしょう。
❏ 目指すものを明示し、その必要性に納得を得る
想定(期待)していたのと異なる評価結果が出てきたとき、それまでの指導を省みて、方向を修正したり、強める/弛める調整を行ったりするだけでは、本来目指していたものに接近が図れなくなります。
先ず行うべきは、「何をどの水準まで目指すのか」「それはなぜ必要なのか」「狙い通りに実現できることなのか」(目標の具体性、合理性、実現可能性)を示して、理解と共感を得ることではないでしょうか。
取り組みを始めるときに目指していたものがあるはず。その必要性を、関係者(の多く)が納得を得られるロジックで語り、取り組みが成果を結びつつあることをエビデンスで示す必要があるということです。
この手順を踏まないまま、取り組みに込めた「思い」だけを一方的に発信しても、「認知→理解→共感→協働」という段階性を踏む関係構築における第3フェイズ以降には進めません。共感のないところで熱弁を振るわれても、疎ましく感じてしまうことは割とよくあることでしょう。
❏ 獲得を目指すものと結び付けて、指導意図を明確にする
個々の教育活動だけを取り出して必要性を伝えようとしても、受け取る側には「恣意的」「唐突」との印象を持たれてしまうことがあります。
学校の教育理念(建学の精神)やそこで描かれている「育成を目指す人物像」などと結び付けて、その位置づけを示していくことが肝要です。
力を入れて生徒に獲得させようとしている能力や資質・姿勢が、現代社会や未来を生き抜くのにどう必要になるのかというところから、しっかりと伝え、理解を得ていないと、如上の位置づけも示せません。
教育活動全般(生活、学習、進路の三領域+α )について、3年/6年をどう設計しているか、各領域の段階的到達目標とその達成のための手段としての指導機会をマトリクスにまとめるなど、全体設計を一体で示すことで、個々の指導の「位置づけ」を明確にしていきましょう。
設計図を見せただけでは、その実現可能性について疑念が残るかもしれません。「ご立派なことだが、本当に実現できるの?」と懐疑的なままでは、共感には至らず、その先にある協働は望むべくもありません。
到達目標を「生徒を主語にしたセンテンス」に書き起こし、観点別の段階的な到達規準(ルーブリック)に調えた上で、それを用いた評価を行い、評価結果の分布が変わっていく様子などを伝えましょう。
❏ 指導に当たる前に、先生方の間で目線合わせ
ルーブリックを起こす作業は、指導に当たる先生方にも「目線合わせ」の機会になります。指導目標の達成を的確に表現する文言(規準)を考え出す中で、何を目指そうとしていたのか改めて明確になります。
また、それぞれの先生方が頭の中に持っていたイメージを言語化してすり合わせることで、指導に込めた思いのズレも明らかになり、互いが納得できるものに調え直していけるのではないでしょうか。
実際の指導に当たる前に、目標の具体化、評価規準の明文化に「参加」したことは、先生方にとっても指導を通して目指すものへのコミットメントを強めることになると思います。誰か(他人)が、知らぬところで決めたことに「自分事としての関わり」は持ちにくいものです。
冒頭の通り、学校評価アンケートでの回答には、先生方の間でもバラツキが小さくありません。生活指導などで「十分でしょ」と「まだまだ」が混在しているのでは、指導の一貫性・公平性にも不安が残ります。
あらゆる教育活動をカバーする、領域ごとのルーブリックを調えていく工程で、互いの考えるところを知り、上位目標(教育理念など)との整合を採った、「互いに納得のできる方針」を持つことは、指導の成果を大きくするとともに、ストレスの種の解消にもつながるはずです。
現状に不十分(まだまだ)と思っているところも、きちんと言葉にして伝えることなく、「蓋」をしたままでは、見えないところでズレが膨らみ、埋めがたいものが溜まっていくばかりではないでしょうか。
教育活動を目指すものを正しく共有するのはなかなかの大仕事ですが、言語化と共有が図れた部分では、年度ごとの指導を振り返る中で、その進捗(成果)も確かめられますし、指導目標/評価規準にもブラッシュアップを掛けやすくなります。
単年度で、すべての領域に手を付けるのは無理というものですが、これから年度末にかけて学校評価アンケートを行う中で、回答のばらつきや三者間の評価の乖離が目立つ項目があれば、まずはそこから手を付けていくのが好適です。先送りしてはいつまでも解消しない問題です。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一