評価者としての成長とは、「自分の取り組みとその成果を客観的に捉えて、進捗と改善課題を捉えた学びが自律的に行えるようになること」、別の言い方をするならば、「適切な振り返りができるようになること」を意味します。cf. メタ認知、適応的学習力
成長(=評価者スキルの獲得)の痕跡は生徒が起こすリフレクション・ログにも表れるはず。「自分の取り組みとその成果をどれだけ客観的に捉え、より良いパフォーマンスを得るために何をすべきかを考えだせるようになっているか」に注意しながらログに目を通しましょう。
❏ 進捗と改善課題を捉えた学びができているか
指導の目標とした「成長」(能力や資質などの獲得)が狙い通りに進んだか、観察と評価を重ねるべきであるのは当然ですが、学習者としての自立に向かわせるというもう一つの目的を達するには、「評価者スキルの獲得状況」にも十分な関心を向ける必要があります。
生徒が的確な振り返りを行うには、学びを通じて目指した到達状態(目標)を正しく認識している必要があるのは、別稿(生徒は「振り返り」を効果的に行えているか)で書いた通りですが、先生方がご自身の授業/指導の成果を検証する(=振り返る)ときも同じです。
各単元に固有の「知識や技能」、それらを学ばせる中で獲得を図る「能力や資質」に加え、「主体的に学ぶ姿勢」についても、目指すべき目標状態を明確にイメージした状態で、観察と評価を行う必要があります。
生徒一人ひとりが、本時の学びを経た成長(進捗)をどれだけ認識しているか、より良いパフォーマンスを得るために必要なことをイメージできているかは、生徒の内面に生じた認識ですので、言語化させて/文字に書き出させてみないと、観察の機会すら持てません。
観察を通して、生徒をより良く理解すれば、指導の最適化も進みます。
❏ 評価は一定期間にわたる「観察の蓄積」の中で
課題解決や対話協働などの学習活動に取り組ませるたびに「振り返り」を行わせるとしても、毎回のログに「進捗と改善課題」への言及が明確に読み取れるとは限りません。
学びは上昇と停滞(ときに後退)が混じりながら、不連続に進むものですし、潜んでいる改善課題に気づけるときばかりとも限りません。
リフレクション・ログは一定期間にわたって蓄積し、その中で読み取れる変化を以て、当該生徒の成長と捉えるのが好適且つ妥当です。
中には「自分の進歩(成長)」を捉えられない(=ネガティブなところにばかり目線が行き、「反省」に終始する)、あるいは「より良いパフォーマンスを得る方法」を考え出せずにいる生徒もいます。
継続的にログと教室での行動を観察する中で、こうした生徒が目についたら、「気づきを促す」ための問い掛けで成長を支えていきましょう。
評価を行っても、その結果に基づき、適切な指導者行動をとらなければ、評価は自己目的化し、時間と労力の無駄にしかなりません。
生徒のログから好適な記述を抽出し、「モデル」として教室で共有するのも好適です。先生が素晴らしい助言をしてくれるのは当たり前のことでも、周囲の友達の鋭い「気づき」は大きな刺激になります。
❏ 進捗と改善課題への言及頻度はクラスでも異なる
同じ科目を同じ指導計画(共通指導案など)のもとで学ばせていても、リフレクション・ログの中での「学びの進捗と改善課題」への言及頻度やその内容の深さ/具体性は、クラスや担当教員によって異なります。
生徒の学習行動やその成果をしっかり観察し、評価結果をクラスに対して適切にフィードバックしている先生が担当するクラスと、そうでないクラスとでは、メタ認知の獲得度合いにも大きな違いがあるはず。
また、プレゼンテーションの機会を整え、その中で自己評価や相互評価にしっかり取り組ませているかどうかでも小さからぬ違いが生じます。
逆に言えば、リフレクション・ログをクラス間/担当教員間で見比べ、精査してみれば、「メタ認知・適応型学習力や評価者スキルの獲得」に資する如上の指導がうまく機能している教室を探せるはずです。
考査や模試の成績を追跡しながら分析することで、付加価値の大きな指導の所在を探し、そこでの実践を共有できるように、「主体的に学習に取り組む態度」を育む好適実践は、リフレクション・ログを材料に探し出すことができるのではないでしょうか。
この実現には、少なくとも、教科単位で「学びの場でどのような内省を求め、どうログに残させるか」のコンセンサス形成が必要です。過剰な注力は負担増を招くだけですが、無理のないところからより良い指導の実現を目指した「先生方の協働」を始めていきましょう。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一