以前の記事で、教室でしかできない学びを充実させるべく、授業は問いを軸に設計するのが好適と申し上げましたが、これを裏返して考えるとターゲットに設定した問いによって、授業の質/生徒がそこで学べることが大きく変わってしまうということです。
先生方が集まって「より良い授業」を目指した研究や研修を行うとき、教え方や学ばせ方に焦点を置くケースが多いように思いますが、学力観が大きく変化した今、問いのあり方をテーマにした授業研究がこれまで以上に盛んになっても良いのではないかと感じています。
❏ 問いを軸にした授業設計(再)
授業計画を立てるとき、生徒に何を学ばせるか(=どんな知識・理解を獲得させるか)を明確にしておくのが最初のステップですが、ここからすぐに授業設計に移ると、学習内容をこなす/伝えることにばかり意識が偏ってしまいがちです。
まずは、ターゲット設問を決めて、それに答えるのに必要なパーツ(知識や理解、使う手順、問題の捉え方・着眼点など)を洗い出し、次に、それらをどんな学習活動(調べる、話し合う、説明を聞く等)を通して獲得させるのが最適かを考えていきます。
取り組ませるべき学習活動がリストアップできたら、授業準備(予習)や事後学習を含めた学習時間の枠の中に配列する(どこに、どんな順序で置くかを考える)段階に進みます。
こうした手順を経て授業をデザインすると、最初に考えた「学習活動をすべて終えたときに生徒に獲得させておくべき知識・理解」と「ターゲット設問に答えを作る過程で得られる知識・理解」の差分も明らかになっているはず。その差分をどう埋めるか(生徒が取り組む宿題や補完のために先生が行う講義)を考えていけば「授業案」は完成です。
知識の獲得は個人の活動を通じて出来るはず。それができるようにするのも大切な指導目標です。個人で出来ることと教室でしかできないことを切り分けて、後者に重点をおいた授業デザインを心掛けましょう。
❏ どんな問いを置くかで、学べるものが大きく変わる
同時に、個々の学習活動を通して、どんな能力・資質(言語、数量、情報の各スキルからなる「基礎力」や、問題発見・解決力をはじめとする様々な「思考力」など)を涵養するのかも考えなければなりません。
ターゲットに設定した問いが、単元全体の広い統合的な理解を求め、深く思考を掘り下げられるものになるほど、それを起点に設計した授業での学びはより広く深いものになりますが、逆もまた然りです。
個々の知識の有無を問うだけの問題では、生きて働いているかどうかも定かでない「知識の断片」を蓄積するだけの学びで終わってしまうでしょうし、教科書などに書かれていることを表面的に捉えただけで答えられる問いでは、「思考を深めてその力を鍛える機会」にはなりません。
各単元の内容を学ぶことは、それ自体が目的であると同時に、能力・資質(21世紀型能力で言うところの「基礎力」「思考力」「実践力」)を獲得するための手段であるのは、別稿でも書いた通りです。
❏ 問いによって、学びを生徒の「自分事」に
身の回りにある「解決すべき問題」ならば、教科書などに書かれていることの理解を超えたところで、「自分ならどうするか」を考える機会を生徒は得ることになります。
先生がわかりやすく説明して聞かせるだけではピンとこないのか、単なる知識としてそれらを認識するのに止まってしまうこともありますが、答えるべき問いとして尋ねられると生徒の反応は大きく違ってきます。
答えを見つけようとあれこれ考える中で、学んでいることへの「関り」の持ち方/感じ方も大きく変化してきます。問いという形式そのものに備わる「これまで意識していなかったところに問題意識を向けさせる」という機能を上手に活用しましょう。
また、立場によって解に対する賛否が分かれる「イシュー」であれば、「自分はどんな立場をとるか」「反対意見の人とも折り合える納得解は何か」といったところまで踏み込んだ「判断力」も鍛えられます。
その先には「実践力」の構成要素である「社会参画力」や「持続可能な社会への責任」の獲得も期待できるのではないでしょうか。
従来の教室での学びの大半を占めていた「解内在型の問題」(=正解が決まっており、解を得るまでの最適手順も確立されている問題)だけでは、自分事として問題に向き合わせるにも、新しい学力観の下で求められている能力や資質を獲得させるにも、十分とは言えません。
解内在型以外の問題を扱う機会は「総合的な探究の時間」にも用意できますが、それだけでは経験量/学習機会が不足し、目指すべきところに到達するのは難しそうです。「問いのあり方」を根本的なところから考え直し、各教科の学びが従来の立ち位置を離れていく必要があります。
こうした様々なタイプの問題を、年間指導計画の中にバランスよく配置できるかは、まさに「先生方の腕の見せ所」ではないでしょうか。
❏ 良問の整備は、先生方が協働で挑むべきチャレンジ
どんな問いを与えるかは、まさに「生徒に何を考えさせるか/何に向き合わせるか」を意味するのは、既に申し上げてきた通りです。
すべての単元で、ターゲットとなり得る良問を用意するのは、各教科の専門家である先生方にとっても容易いことではないかもしれませんが、どんな問いを立てるかで授業デザインは決まる以上、実現に向けて着実に歩を進めたいところ。
先生方が協働で挑むに値するチャレンジではないでしょうか。そのための場である研究や研修の機会はどこかでしっかり作りたいものです。
先生方は、日々の授業を行う中で、新しい学力観にマッチした「問い」を見つけたり、作り出したりしておられると思います。それらを周囲と共有できる場(機会・コミュニティ)を持てているでしょうか。
もちろん、授業を互いに参観したり、実践を報告し合ったりすることで指導法の発想を互いに広げていくのは大事ですが、そちらに偏っていては、「優れた問いの共有や開発」の機会が圧迫されてしまいます。
❏ 問いのあり方をともに考えるコミュニティ
問いのあり方をともに考えるのに最も身近な場は、同僚の先生との勉強会(教科会や学年教科が実施単位になることが多いかと)でしょうが、勤務先の学校に同じ科目の先生がいない場合でも、他校に同志を見つけて取り組んでおられる先生が実際にいらっしゃいます。
教え方/学ばせ方をテーマとした研修に参加する機会は少なくないと思いますが、そこで知り合った方々とのコミュニティを作り、「問題のあり方」にまで視点を広げた研究や研鑽に発展させていくのは、決して非現実的な「夢物語」ではないように思います。
教育のデジタル化が急速に進みましたので、教材や資料はわざわざプリントアウトして配布する必要もなくなりました。クラウドで共有するのは簡単なことですし、ディスカッションの場もオンラインで作れます。
問い方の研究ですから、生徒がどんな答えを作ったか、指導によって答えがどう変化したかも重要な資料になりますが、これらを収集整理するのも、デジタル化でかなり容易になっているはずです。
メンバーの先生方がそれぞれに見つけた「良問」を、それを使った授業のアイデアのメモを添えてクラウドにアップすれば、他のメンバーからのコメントも得られますし、同じ問いを違うアプローチで自分のクラスに試してみたときの結果なども共有できます。
こうした相互の発信は、メンバーそれぞれの都合で、時間をずらして行うこともできますので、時間と場所を共有しない「自由度の高い」研究の場にすることもできそうです。
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日々の授業で「どんな問いを用意するか」は、「生徒にどんな思考を経験させるか」にほかなりません。指導期間を通して、どんな問いを用意できるかが、生徒の思考が及ぶ範囲を決めるということです。
問いを与えることで思考を発動させることさえできれば、その後は生徒自身の試行錯誤と先生からの適切な(行き過ぎない)支援とで、生徒は徐々に解に辿り着くのに必要な手順や方法(=思考様式)を学んでいってくれるのではないでしょうか。起点はすべて「問い」にあります。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一