出題内容から窺う、大学の教育姿勢

先日、拙稿「出題研究を通して”問い方”を学ぶ」を更新し、新しい学力観に沿った問い方を学ぶのに好適な教材を高大接続改革以降の大学入試問題から探しましょうとのご提案をいたしましたが、出題研究を通して各大学の教育姿勢を窺い知ることも同時にできるはずです。
自教科の出題だけを見ても、大学全体での出題姿勢(アドミッション・ポリシー)やその背後にある教育観、教育姿勢までは掴み切れません。他教科の先生方とも連携し、各大学の今後の出題を見守りましょう。
ちなみに、教科・科目で出題方針に共通するものが見て取れず、大学内での意思共有や協働体制を疑うしかないと感じることもままあります。

❏ コロナ禍を理由に出題方針を変更して大丈夫?

大学で出題を担当している先生方のお話を聞くと、高大接続改革で思考力・判断力・表現力を見る問題へのシフトを要望されていたのが、コロナ禍での一斉休校で授業の遅れが目立つようになった途端に「出題内容に十分な配慮を」という注文に変わって戸惑われているとか…。
学校の授業で扱えなかった可能性がある発展的な内容を直接問わないという制限があっても、工夫次第では思考力・判断力・表現力を試す出題は十分に可能です。問題文中に必要な情報を与え、それを読んで理解するところからチャレンジする「学習型問題」などはその筆頭でしょう。
高校入試だって三平方の定理を知識として求めずとも、説明書きを加えて概念を理解させた上で、それを使って解く問題にすれば良い話かも。
コロナ禍による要請変更があったことを理由(言い訳?)に、思考力・判断力・表現力などをあまり問わないことを選択した大学は、入学後の学修に必要な基礎力をどう担保するつもりなのでしょうか。
入学後の補習/リメディアルで対処すると言っても、選抜試験で該当学力を試していない以上、対象者を絞るにはプレースメントテストの実施から必要になるはずですし、大学のカリキュラムにだって時間的な余裕はさほどないはずです。

❏ 出題方針は、大学の3つのポリシーに基づくもの

入試問題は、「こういう力を備えた学生に入学してもらいたい」「そういう勉強の仕方をしてきてほしい」という意思(アドミッション・ポリシー)を表明するものです。
その背後には、本学ではこういう教育を行い、卒業生にはこうした学識やスキルを身につけさせるという、カリキュラム・ポリシー、ディプロマ・ポリシーがありますが、これらをぐらつかせず、アドミッション・ポリシーとその表明手段である入学試験だけを場当たり的に変更するのは至難の業(論理の破たん?)です。
入学までの学び+入学者選抜という段階と、入学後の学修との間のどこかに決定的な歪みが生じては、本来は要らぬはずだった苦労を抱えるのは学生ですし、彼らを教える大学の先生方だって大変な思いをします。
カリキュラムや教材の選択は、過年度からの積み上げで最適化を徐々に重ねてきたものでしょうし、高大接続改革を見据えて大きく改善を図っていても、入試の「振り戻し」を安易に受け入れては、ここまで進めてきたことの土台が崩れ、組み直しは容易なことではなくなります。
こうしたリスクを十分に踏まえていれば、「発展的内容を問わない」ことが「思考力、判断力、表現力を試すことにウエイトを置かない」と決してイコールではないことに着目して、今期の入試における解決策(=新たな出題方針)を考え出すのが当然の帰結となるはずです。

❏ 高大接続改革元年の入試に大学の教育姿勢を見る

大学入学共通テストも技術的な問題を解決しないまま、結論ありきで進めてしまった結果、土壇場で大きな変更を余儀なくされましたが、目指している方向そのものは決して間違っていないと思います。
今度の春に行われる個別大学の入学試験もまた、これまでの議論や答申に沿って、その方向性を探ってきたはずです。
コロナ禍という予想外の事態に振り回される状態ではありますが、方向を見失わず、具体的な出題のひとつひとつに技術的な工夫を重ねることで、新時代の要請に答える教育とその入り口となる入学者選抜を実現してほしいと切に思います。(外野の身勝手な思いかもしれませんが…)
高大接続改革とコロナ禍というダブルパンチで、大学で出題に当たる先生方や入試を仕切る事務局には、後にも先にもないほどの動揺があるのは想像に難くありませんが、こういうときだからこそ、根底にある教育に向けた姿勢や矜持が、対応の一つひとつに現れます。
根っこを形成する意識は、数年という短いスパンでそう変わるものではないはずです。今度の入試の出題から窺い知れた「大学の教育姿勢」は少なくとも当面の間は変わらないのではないでしょうか。
年明けから始まる入試シーズンには、生徒の進路形成に関わる立場にあるすべての方が、各大学の出題内容に例年以上の注意を向けて観察していく必要があるように感じてなりません。



好ましい出題の背後には的確な教育観があり、そうした出題を可能にする技術と材料を整えるための日々の努力があるはずです。そうした努力は大学での授業にも(すべてではないでしょうが)反映されますので、大事な生徒を預ける4年間には大きな成果が期待できそうです。
当然ながら、逆もまた然りだと思います。
選抜試験をいい加減にしては、志願者は「入学者に求める力」を正しく理解しないまま勉強して選抜会場に来ますし、出題方針があやふやな問題では、求める学力を備えていない志願者も通過させてしまいます。
これでは、学生同士の相互啓発が働く、好ましい学びのコミュニティの形成は難しいはず。”the best educators of one another”(ハーバード大学の学生募集ページより)とはならないのではないでしょうか。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一