2020年の高大接続改革の前後から「学習型問題」をよく見かけるようになりました。教科書では扱われていない、つまり生徒がそれまで学んだことがない事柄についての説明や資料を読ませ、そこで得た理解を土台に問いに答えさせたり、意見を述べさせたりするものです。
以前はごく一部の大学に出題が限られましたので、個別指導でも対応ができましたが、出題が一般化してくるとなると、授業のあり方や3年/6年を通した指導計画にも転換が求められそうです。
2017/08/22 公開の記事をアップデートしました。
❏ 短期集中型の対策より、普段の授業の中での経験を
ある意味で「特殊な問題形式」ですので、集中的に対策演習を行う作戦をお考えになるかもしれませんが、本当にそれで充分でしょうか?
スピーディに資料を読み、内容を理解して、問いに答えるのに必要な知識に編み上げる力が、短期での取り組みで身につくとは思えません。ある時期に集中して行う対策だけでは、「その手の問題を体験した」というレベルに止まるように思います。
そもそも、如上の力は学問をするにも、社会生活を営むにも欠かせないものです。21世紀型能力の「基礎力」も言語、数量、情報の各スキルで構成されています。
すべての教科の学習を通じて、長期的な成果を積み上げて獲得を図るべきものが、学習型問題で試されていると考えるのが妥当であり、短期的な指導でどうにかしようと考えるのは誤りだと思います。
普段の授業から、そのような「学び方」を経験させていく授業デザインにこそ、学習型問題への対応力を養うカギがあると考えるべきです。
❏ 導入フェイズで問いを与えるところから
授業の流れとしては、導入フェイズで「ターゲットとなる問い」を提示するところから始まります。
資料を読ませたり、説明を聞かせるときも、答えるべき問い/解決すべき課題があるからこそ、情報を集めて知に編むときの「焦点」を持てますし、どの情報をピックアップする必要があるかの判断もできます。
同じ資料を読んでも、問いが違えば拾い上げるべき情報も、考えるべきことも違ってくるのは、拙稿「どんな問いを立てるかで授業デザインは決まる」でもお伝えした通りです。
見方を広げれば、一つの資料/説明に対して、幾つかの異なる問いを与えておけば、多角的な学びを同時に行うこともできるということです。
生徒が漠然とした理解で「環境問題」と括ってしまうような問題でも、経済学的な視点や法整備からのアプローチ、コミュニティや個人の生活からの解決策、科学技術的な考察など、様々な切り口があります。
❏ 先ずは生徒に「仮の答え」を作らせる
資料と問いを与えたら、まずは生徒に「仮の答えを作る」ところまで取り組ませましょう。先生が先回りして説明を始めてしまったら、学習型問題を使うことで獲得できたはずの力は身につきません。
資料から読み取れたことと、手持ちの知識だけを使って作り上げた「仮の答え」は完答/満点答案には程遠いものかもしれませんが、その後に周囲と話し合って気づきや発想を交換し、先生の説明を聞く中で、「より良い答え」に近づくことこそが「学び」です。
答案にどんな項目を組み入れるべきか、どんな切り口/角度で論述するかも、先生方からの問い掛けで考えさせたり、生徒同士で話し合ったりするなかで「見つけさせていく/気づかせていく」ことが重要です。
答えが一つに決まる問題であっても、先生が予め用意しておいた模範解答に照らし合わせ、それとの異同で答案をチェック(減点)していくのでは、学びは浅いところにとどまってしまいます。
生徒がそれぞれに作った「仮の答え」をシェアし、答案にどんな違いがあるかを点検してみるだけでも大きな学びが生まれるはずです。
❏ 学習する力を高めるための重要なプロセス
せっかくシェアした答案(仮の答え)も漫然と見比べているだけでは、学びは深くなりません。
それぞれの答案に生じた違いを見つけて、なぜそうした違いが生じたのかを原因にまで踏み込んで考えさせることが大切です。
資料を正しく読み取れなかった、データの見方を誤った、必要な観点を持ち損ねたなど、様々な原因があるでしょうが、それに気づいたことで次に同じようなチャレンジをするときにどう対処すべきか生徒は学んでいくことができます。
正解できた/できなかったという結果ではなく、なぜ間違ったのか、どうすれば良かったのかに気づくことこそが学びであり、その蓄積で学習型問題への対応力(=すべての学び/問題解決に必要な「基礎力」)が高まります。
先生が予め用意してくれた「正解」を待ち、それを覚えれば良いというスタンスだけは持たせないようにしたいところ。それでは同じ問題には正解を再現できたとしても、学習型問題にトライさせることで狙ったことは実現できません。
❏ 採点基準作りに挑ませて答案を相対化する力を養う
学びが進んできたら、採点基準作りにチャレンジさせるのも好適です。
問いが求める答えを作るには、必要な情報を余さずピックアップして、前提となる「教科書で学んでいたはずの知識や理解」と組み合わせて、正しく答えに編む/構成する必要があります。
これらの「正答要件」は、問題文と設問文の中に示されているはずですが、採点基準を作る作業は、それらを的確に読み取り、抽出・把握する好適な練習になるはずです。
なぜ、この項目/部分に触れる必要があるのか、問題文と設問文の中にその根拠を見つけ出すのと、出題者の意図を感覚的に捉えるところに止まって「たぶんこんな感じでOK」と済ませるのでは雲泥の差です。
選択式の回答形式でも、正解以外の選択肢が誤りである理由を、問題冊子と既習内容の中に、根拠をもって挙げられるかどうかは重要です。
学習型問題に取り組ませる中で、「問題を通して出題者と論理的な対話ができる」生徒を育てることを目指しましょう。
正解が一つに決まらない問題でも、好き勝手な答えでは点数になりません。問題文から「正解要件」を読み取れるかどうかが試されています。
ひとりで問題に対峙しても、その要件/出題者が求めているものを正しく読み取れているかどうかは中々わからないはずです。前述のように、答案をシェアして、採点基準を話し合う中で答案を評価するときの観点と規準を明確にしていくことの意義はことのほか大きいはずです。
大学が学習型問題を課すのは、入学後の学修に必要なスキルと姿勢を身につけているかを確かめたいから、それらが身につくような学びを高校の中でも経験してきて欲しいからです。
その意図に応えられるか/挑戦を受け止められるかどうかは、個々の生徒の頑張りではなく、先生方の授業作りへの発想と姿勢に掛かっているのではないでしょうか。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一