表現力は、思考力・判断力とともに、学力の重要な部分を構成します。志望大学の入試に記述・論述問題が課されているかどうかに拘わらず、自分の考えに他者の理解と共感を得る必要は、日々の活動を送る中にも多々あります。合理的な思考がきちんとできていても、表現力の不足がボトルネックとなっては、持てるものを十分に発揮できません。
各教科の学習指導のみならず、進路指導、探究活動、さらには学校行事や体験学習などあらゆる場面で表現の場を作り、その力を高めさせると同時に、きちんと評価してさらなる向上に向けた課題を生徒一人ひとりに形成させる必要があるはずです。
2016/06/06 公開の記事をアップデートしました。
❏ 個々のニーズに応じた添削指導を繰り返すだけでは
生徒の表現力が端的に問われ、現実的な課題になるのは、言うまでもなく、入試の記述・論述問題への対応においてでしょう。受験期を迎えると、生徒の答案を添削する機会が増えるのは例年のことだと思います。
生徒が個々に起こした答案や小論文に朱入れをして、直すべき箇所を指摘し、どう直すべきかを理由とともに具体的に示すことの効果は確かに大きなものだと思います。
特に、出題傾向がある程度決まっている場合には、「合格答案」に近づけていく効率において添削に勝る方法はなさそうな気がします。
志望理由書や学修計画書の起草でも、生徒自身が推敲を繰り返すだけよりも、先生方からの朱書きの方が、完成に近づく効率に勝ります。説明不足や矛盾だらけで意欲を伝えられないようなものを提出させたり、期限に間に合わなかったりしては一大事。適切な指導は欠かせません。
しかしながら、これらの大前提になるのは、「添削指導をしてくれる信頼できる先生が身近にいること」であり、学校を卒業するとその前提が当たり前のものではなくなります。考えてみれば、受験本番で「新傾向問題」に出くわしたときも、先生はそばにいてあげられません。
生徒が自力で効果的な構成を考え、自分が表現するもの(答案など)を客観的・批判的に評価して、より良いものを作り出せる力を獲得させる指導と、個別添削のバランスをしっかり取ることが重要だと思います。
❏ 思考の結果と過程を言語化する機会をあらゆる場面で
思考力は、生徒に思考をさせない限り、鍛えることも評価することもできませんが、表現力も同じです。調べてわかったことや考えたことを、言語化して他者に伝える練習を積ませることで表現力が伸びます。
こうした練習機会は、教科学習指導に限らず、学校生活のあらゆる場面に設けることができます。
普段の授業の中でも、教科書や副教材を読んで理解したこと、問いを与えて考えさせたことを、発言させたり隣同士で話し合わせたりするのは日常的に行えること。その機会を十分に確保しているでしょうか。
進路行事や体験学習を経て、ポートフォリオにリフレクション・ログを残す場面だって、とても大切な「表現の機会」です。内省を通して発見した自分を言葉にすることで、自分への理解も深まるはずです。
これらの機会を、「言いっぱなし」「書きっぱなし」にさせては、生徒の表現力は高まりません。活動を経て「もっと効果的な言い方/書き方はなかったか」を考えさせたり、他の生徒の表現から学ぶように促したりするアクションがあるかどうかで効果/成長は大きく違いそうです。
❏ 口に出す言語化は、文字に起こすことで補完を
口頭で表現したものは時間の経過の中で姿を消していくだけに、生徒が自分の発言(表現)を振り返るのにあまり向きません。先生方にしても瞬間ごとに出現しては消えていく対象ではじっくり評価できません。
負担のあまりかからない口頭での表現と、じっくりと仕上げに取り組める文字での表現とのバランスをしっかり取るようにしたいところです。
隣同士で話し合うといった、負担の軽い言語活動に際しても、口に出す前にメモを起こして(=文字にして)考えを整理することも適切に交えていきましょう。文字に書き起こすことで自分の考えを客体化できるため、吟味・推敲もできて、表現の質は大きく高まります。
思うことをきちんと表現できたとの達成感は、次の機会での表現への意欲も高めるはずです。
教科学習指導の中であれば、与えた問いやお題への答えをじっくりと仕上げさせるべきであるのは言うまでもありません。学び終えてから課題に立ち戻り、答えを仕上げる中で学びが深まることは別稿でも書きましたが、表現力も同時に鍛えられます。
生徒それぞれが仕上げた答えをクラスや学年内でシェアすれば、相互啓発が働き、より広い気づきと深い学びが実現します(別稿参照)が、同時に効果的な表現の方法も互いに学べます。
また、体験のたびに感じたことをしっかり考え、言語化&記録することは内省を深めさせ、自分をより良く知るきっかけになりますが、きちんと書き上げさせる指導を行うことで、表現力を高める好機になります。
❏ 公開添削で、答案を客体化・相対化する能力と姿勢を
冒頭で、個別添削が効果的であることに触れましたが、生徒の答案をシェアして行う「公開添削」には別の大きな効果が期待できます。
先生が「正しい朱入れ」 を示すだけでは、生徒は先生の朱入れを真似することの先には中々進むことができないかもしれません。生徒に問いを投げかけて、改めるべき箇所に気づかせるところが指導の起点です。
生徒に答案を見比べさせて、どちらの答案により高い点数をつけるかを尋ね、その理由を言葉にさせたりする中で、より良い答案を作るために必要な観点を学ばせていきましょう。どう手を入れたら(朱入れをすれば)点数が上がるかを考えさせれば、直し方も学べます。
ICTの普及で、答案を提出させて再配布(配信)するのにも手間がかからなくなりました。どんどん授業に採り入れていきましょう。提出されたものに事前に目を通し、どんな観点で比較させるか、どこに着目して修正案を考えさせるか、作戦を立てれば効果はより大きくなります。
模範解答のような「良いもの」だけを見せても、対象を正しく評価する力は容易に身につくものではないはずです。
❏ 採点基準を適用する/作ってみる練習にも挑戦
公開添削を通して、答案などを評価することに生徒が慣れてきたら、指導をもう一歩進めていきたいところです。
採点基準を提示して、自他の答案に適用してみる(採点してみる)練習はその一つです。だいぶ前のことですが、大学入学共通テストの試行テストでは、自己採点の結果と実際の採点結果のズレが大きな問題になりました。(新共通テストの採点基準~正しく適用できる力)
基準(観点ごとの評価規準)を正しく理解できることは、どのような答えを書けばよいか/どう表現すべきかを知ることで、自分の取り組みや成果(ここでは答案)を的確に振り返る「メタ認知・適応的学習力」の土台になります。
さらに一歩進めるなら、採点基準そのものを生徒に考えさせてみたいところです。設問文が指定していることを正しく理解すれば、答えに何が求められるかは見抜けるはずです(先生方は実際にやっておられます)が、これも練習しないことには、身につく力ではありません。
社会に出て「正解がひとつに決まらない問題」に挑む場面が増えれば、様々な人が導き出した答え(=考え出した解決策)が妥当なものか、どちらが優れているのか、判断しなければならない場面も出てきます。
そのときに、合理的な思考に基づき、答えを評価できるようになっているかどうかは、問題に正しく対処できるか/最適な答えを選びだせるかを分けることになるのではないでしょうか。
表現力は、社会参画力や人間関係形成量を左右する重要なもの。表現力を高める指導として、答案を評価する練習には、様々な副次的な効果が期待できそうです。3年間/6年間を通して、計画的にじっくりと指導に当たることが大切だと思います。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一