どの科目でも、単元ごとに沢山のことを学びますが、それらを順番に覚えていくだけでは、単元の全体像を掴めなかったり、体系化されなかったりします。的確に整理され、自在に想起できる記憶は、体系的に物事を考える(物事を理解し、展開を予測する)ときの大切な土台です。
まとめプリントを先生が作って配ってあげたとしても、生徒は「自力で知識を体系化する場面」を経験しておらず、その姿勢と方法を獲得する機会も持てずにいるはずです。学んだことを生徒が自分で整理してまとめ上げる機会を持たせることには、大きな教育的意味がありそうです。
2018/03/26 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 単元を振り返って、まとめシートを生徒が作る
ある学校をお訪ねして授業を参観していたとき、教室後方の掲示板に、生徒が作った「比較構文の仕組み」というタイトルの、生徒がそれぞれにまとめたプレゼンシートを見つけました。
用紙の中央に如上のタイトルが配置され、周辺には例文やその解説、頻出表現一覧などがまとめられており、生徒一人ひとりの創意や工夫が垣間見える、立派なプレゼンテーションに仕上がっていました。
聞けば、少し前に授業で「比較構文」を扱ったときに単元終了時の宿題で生徒が作ったものとか。各単元の学習を終えるときに、単元で学んだ内容を生徒がまとめ直すタスクを、宿題に課しているとのことでした。
提出されたものに先生が目を通し、特に優れたものを選び出して「優秀作品」をまとめた掲示を作り、各クラスの教室にそのコピーを貼りだしているとのことです。
習慣化された取り組みですので、生徒は宿題を予想し、どのようにまとめるかイメージしながら授業を受けているはず。それが「学んだことを断片化させない」ことに繋がっているのは、容易に想像がつきます。
❏ 知識が体系化される以外にも様々な効果が期待できる
この取り組みには、いくつかの効果が期待できると思います。
- 単元全体を振り返り、そこで学んだことを整理する力が養われる
- 自分と違うまとめ方に触れ、学びを深め、単元理解の欠落を補える
- 他の生徒の工夫の痕跡から、情報整理の発想や手法を学んでいける
必要な情報を集めて知に編む力は、何かを学ぶときにも、社会を生き抜くためにも欠かせないもの。それを実地に獲得する場は、教室の内外で過不足なく用意すべきものですが、如上の宿題はぴったりではないでしょうか。授業時間をいたずらに圧迫することもありません。
ワンシートに要旨をまとめる練習は、生徒が今後経験していくであろう様々なプレゼンテーションの場で必要な力の獲得にも有用なはずです。
また、自分の「作品」が選ばれた生徒は誇らしく感じるでしょうし、他の生徒も「こんなまとめ方があるのか」「こんなところまで調べることもできるのか」と刺激を受けられます。
生徒が自分で考え、集めた情報を知に編んだものを掲示にすることで、教室に相互啓発が働けば、やり方を先生が教えて、そのまま真似るというのとは違う次元に「学び」が展開していくのではないでしょうか。
最初の内は、提出物に「どこかの参考書の丸写し」のようなものも散見されるそうですが、その手のものを先生が選び出さなければ、生徒は自ずと違うアプローチが求められていることに気づいていくはずです。
❏ 取り組みを始めるのは、学びのスタイルが確立する前
こうした取り組みは、「新入生を迎え入れてすぐ」に始めてしまうのが最善だと思います。履修開始から時間が経ち、学びのスタイルが確立して(癖がついて)からだと、急な要求に戸惑いが生じるかもしれませんし、新たに習慣化させるのに余計なハードルが生まれます。
日々の授業の中で、問い掛けと板書を通じて「情報整理のプロセス」を学ばせながら、「まとめシート作り」にも挑ませましょう。やらせてみないことには、生徒が何をどこまでできるか見極めもつきません。
最初は上手にできず、ろくなものが出て来なくても、幾度か経験させる中で、生徒は知恵を使い、あれこれと工夫を重ねるもの。
ジョージ・パットンも「人にやり方を教えるな。何をすべきかを教えれば、人はその創意工夫で驚かせてくれる」と言っています。
やがて、上手に(創造的に)まとめられる生徒も現れてくるはず。相互啓発が働く環境を維持すれば、先生があれこれと手引きをしなくても、生徒同士で学びが進み、情報編集の力が養われてくると思います。
タスクを課され、自力で調べる必要に迫られる中で、参照型教材を徹底的に使い倒す姿勢の獲得も進んでいくのではないでしょうか。
❏ 優れた取り組みだからこそ形骸化させないように
優れた取り組みも、漫然と繰り返しているだけでは、やがて形骸化していくもの。取り組みの意欲もクラス全体では下がっていきます。
生徒それぞれが考え尽くしたことをシェアするところにこそ、相互啓発は働くもの。形骸化を防ぐ策をきちんと講じる必要があります。
生徒がやり方を覚えるまでは、集中的なトレーニング(短いサイクルで進捗と改善課題を捉えた学びを回すこと)が必要ですが、一定の成果が出たら、頻度を下げて、「学びの山場」での課題とするのも好適です。
また、タスクに取り組む意義への理解が弱いと、形骸化のスピードは上がります。取り組みを通して自らの内に形成された能力を認識させることは、意義の再確認と取り組む理由の再形成に繋がります。
成果物の形を整えるだけなら、安易に生成AIを頼る(丸投げする)ことも可能ですが、「なぜその構成にした、記述の内容を選び出した」といった思考を言語化させる(互いに説明する)となると話は別です。
タスクを課す頻度を下げる一方で、こうした「成果物を整えるプロセスの言語化とそのシェア」の場を作ってみると、掲示しただけのときとは一味、ふた味と違った相互啓発が働き始めるのではないでしょうか。
こうした指導を各教科の学びの中で続けるのは、探究活動(総合的な探究の時間など)で、生徒が「自ら調べ、考えたことをまとめる必要」に迫られるまでで十分でしょう。実際の必要が生じれば、それまでに身につけたことを応用する「自分の理由」も生まれているはずです。
ちなみに、最初のうちは全員に課す「必須の宿題」としておき、生徒がやり方を身につけ、習慣化してきたら、任意に取り組む課題に切り替えるという作戦は、あまりお勧めできません。習熟が遅れ、本来は取り組むべき生徒ほどやらなくなる、というジレンマを抱えるためです。
❏ 様々な科目で経験させ、知を編む力を育む必要
先の例は、英語での実践ですが、古典文法でも同じようなことができるはず。理科や地歴公民、保健や家庭でも、同じような取り組み(単元で学んだことをまとめさせる)は効果的なタスクと言えそうです。
情報を整理し、構造を捉え直すという知的活動を、様々な対象(教科、科目、単元)で経験させることは、情報を集め、自力で知識に編んでいける領域を押し広げていくことを意味します。
様々な科目での学び/経験を通して手に入れた方法を組み合わせれば、適応し得る範囲は、飛躍的な広がりを見せてくれるはずです。
知識を獲得し、それを活用する場の整備は授業設計・指導計画において欠かせないことですが、情報編集力/情報デザインを学ばせていくこともまた、大切なことです。一から十まで先生が「肩代わり」するのではなく、生徒にも「主体」としてそれに取り組ませていきましょう。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一