教科固有の知識や理解を効率良く形成したい場面では、調べさせたり、考えさせて気づかせたりすることより、教えるという方法をつい選択しがちですが、それでは生徒が自力で物事を理解したり、何かを解き明かしたりする力を養う機会を奪ってしまうことになりかねません。
下図を見ると、横軸と縦軸の値が等しくなるところに引いた基準線(赤い破線)の上側に位置する授業はごく少数であることから「指示や説明がわかりにくければ、学びの成果はスポイルされる」ということが読み取れますが、近似線から上側に離れたところにも分布が見られます。
該当する授業は「先生の指示や説明のわかりやすさを超えて、学びの成果を実感できる授業」と言えますが、残差(近似線から上下方向への距離)を生んでいる要因は、生徒自身が調べて知識を得たり、考えたり話し合って気づきを重ねる場をどれだけ整備しているかにあるようです。
2018/06/18 公開の記事をアップデートしました。
❏ わかりやすさを超えて、学びの成果を実感できる授業
上図に見る通り、わかりやすい授業が行われていても、生徒の側で学習効果(学力や技能の向上、自分の進歩など)を実感できる度合いには、授業ごとに小さからぬ差が生じています。
残差(近似線からの上下方向への距離)を生んだ原因を重回帰分析で推定してみると、最も大きく寄与している(=偏回帰係数のt値が最大)のは【活用機会】(習ったことを使ってみる機会)です。これに、【目的意識】と【学習方策】の2項目が続きます。
学んだことを使って課題を生徒自身が解決する機会をしっかり整えていけば、生徒は解決に必要な道具(知識や考え方)を、教科書を読んだり周囲と話し合ったりする中で、その方法や姿勢も身につけていくはず。
そうした、生徒自身が取り組むべきことを、先生が不用意に肩代わりして、「わかりやすく説明する/しっかりと教え込む」ことを繰り返していたら、学習方策も身につかず、「先生の説明がわからなければそこで終わり/その先には進めない」ということになり、基準線の上側に飛び出すことはできないのではないでしょうか。
解くべき課題/答えを作るべき問いが与えられないと、本来は解決を図る中で見つけたはずの「解消すべき不明」にも気づけません。掘り下げて調べ/考えてみたいこととの出会いも期待できず、学ぶことへの自分の理由も持てないまま、たた漫然と受け身の学びを続けるばかりです。
❏ 美味しい料理を食べさせる ≠ 作り方を覚えさせる
とびきり美味しいカレーを作ってご馳走してあげれば、相手はとても喜んでくれるはず。(別に「カレー」でなくても良いですが…)
きっと「また食べたい」と思ってくれるに違いありませんが、作り方も材料の仕入れ先も知らなければ、食べたいと思っても、作ってくれる人が現れるのを待つしかありません。
食べさせてあげると同時に、作り方も教えてあげれば、次の機会を楽しみにする気持ち(=勉強で言えば、次の学びに対するモチベーション)を刺激しつつ、食べたくなったら、自分で作ってみようという姿勢も持たせられます。
初めて自分ひとりで挑戦してみたときには多少の失敗をするかもしれませんが、それでも「次はもっとおいしく作ろう」と思ってくれるかもしれません。作り方の基本さえ押さえてしまえば、自分の好みや手持ちの材料に合わせてアレンジすることもできるはずです。
自分で作ったものを美味しいと思えば、「また作ってみよう」「次はこんなのにも挑戦してみよう」との意欲も生まれてくると思います。
❏ 内容を理解させることと学び方を身につけさせること
きちんと教えて単元の内容を理解させることは、先生が料理したものを生徒に食べさせているのに近いのではないでしょうか。
教室を覗いていると、こんな場面を見かけることも少なくありません。
- 教科書や資料集、副教材を読めば書いてあることなのに、読ませることもなく、先生が先回りして説明してしまう。
- 問題へのアプローチを生徒が自力で十分に考え尽くす前に、先生が正しい(洗練された?)解き方を教えてしまう。
確かに単元内容は十分に理解させられ、同じような問題に再び挑ませたらできるようになっているかもしれません。
しかしながら、この状態が繰り返されていたとしたら、見たこともない問題/習ったこともないことを目の前にしたときに何をすべきか、学べていない可能性があります。
❏ 「主体的な学び」の意味を少し拡張して考える
新学習指導要領のキーワードの一つは、「主体的、対話的で深い学び」ですが、「やり方がわからないときは、教えてもらえるのを待つ」というのでは、とても「主体的」とは言えそうもありません。
手持ちの知識や発想の中から、対象を理解したり問題を解決したりするのに有効と思われるものを探して、利用してみる姿勢を身につけさせることも「主体的な学習者」に育てる上で欠かせないはずです。
間もなく1学期も終盤を迎えますが、生徒に携行させている参考書や用語集などの参照型副教材には、どのくらい使い込まれた痕跡が見られるでしょうか。
教科書はどのくらい読み込まれているでしょうか。既習分と未習部分で紙のくたびれ方が違わないのではあまり使っていないのだと思います。
もし、いまだに新品同様だとしたら、「自力で調べて考えさせる」という要素を、授業や予・復習にもう少し増やす余地があると思います。
❏ 学び方を学ばせるには、生徒が解くべき課題が必要
以前の記事でも書きましたが、学習方策は課題解決を通して身につくものです。料理も自分で作らないと作り方を覚えません。
生徒自身が解を導くべき問い(=ターゲット設問)を、導入フェイズでしっかり示し、解き方そのものを考えさせることが、学び方を学ばせていく上で欠かせないものだと思います。
課題解決型学習(PBL: project-based learning)の要素を、授業内に増やしていくということです。もし、授業時間内に十分な時間が取れないなら、次の授業の準備として生徒が自力で調べて考えることを求める課題を宿題にすれば良いはずです。
授業終了時に、次の授業でのターゲット設問を提示して、解法や問題へのアプローチをその場で少し考えさせたり、周囲で話し合わせたりすれば、自宅に持ち帰って取り組むためのレディネスも整います。
❏ プログラムの刷新に止まらず、学ばせ方の転換も図る
新課程に向けて教育課程の刷新に取り組んでいる学校も少なくありませんが、カリキュラムを変えたりプログラムを新設したりするだけでは、新しい学力観にそった学習指導は実現しません。
ひとつひとつの授業のあり方を変え、目標とするところを設定し直さないと、せっかく設計し直したカリキュラムも「絵に描いた餅」。狙った教育効果も得られないはずです。
高大接続改革で、学習型問題もこれまで以上に増えてくる可能性が高いはず。そこでは、自力で読んで理解したことをもとに、与えられた課題を解決する方法/道筋を考え出していかなければなりません。
その対応を考えただけでも、教え込むより、調べさせて気づかせることの重要性は軽く見ることはできないのではないでしょうか。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一