様々なデータで所在を明らかにした「優れた実践」を共有するための相互参観、あるいは管理職による授業観察などの「他の先生の授業を観る場面」では、説明の内容や組み立て、板書の技法やプレゼンテーションの構成、確認の取り方、学習活動の配列といった、授業者の行動に着目していることが多いように思います。
やり方を学ぶにも、授業を評価するにも、指導者の行動にダイレクトな関心が向くのは当然でしょうが、学びの主体はあくまでも生徒です。
どのような働き掛けが生徒の学びを活性化させ、実りに繋がっていくかという観点で授業全体を見ないことには、「どんな授業/指導者行動が合理的で、学ばせ方として好適なのか」も正しく判断できません。
2015/09/08 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 倣うべき実践の所在は「生徒の学びが深まった瞬間」
言うまでもなく、学習の主体は生徒です。生徒の行動に着目してこそ、より良い学びを作り上げるために、指導者がどうふるまうべきか/授業をどう組み立てるべきかの知見が得られます。
授業を観察するときには、指導者行動よりも、生徒の動きに多くの意識を振り向けましょう。生徒が自分事として学びに取り組み、理解や思考を深めている瞬間こそが「良い授業」が行われているときです。
教室の中での生徒の様子を見ていると、ある瞬間に急激に集中力が発揮されたり、活動が高まったりすることに気づきます。逆に、集中を欠いたり、意識が飛んで夢の中に旅立ったりする瞬間もありますが…。
そうした生徒の行動に変化が起きたときに、それまで(意識の半分くらい?を振り向けて)観察していた指導者行動に照らし合わせてみると、
「なるほど、こういう働きかけが効果的なのか」
「先ほどやらせた作業は、ここでの活動の準備になるのか」
「こういう展開だと、集中を維持できない生徒が増えるな」
といった気づきが得られ、どんな指導者行動に倣う/習うべきか理解が深まり、ご自身の授業にも手札が増えていきます。
❏ 学習者の行動に、十分な注意を向けて参観しているか
学校をお訪ねして、様々な立場の先生方と一緒に授業を参観することも少なくありませんが、参観後の協議や意見交換の場で、参観した先生方が触れるのは、大半が授業者の教え方や教材の選択についてです。
教室での生徒の様子に水を向けてみると、「よく集中していた」「積極的だった」といった感想は出てくるものの、どんな答えを手元で作っていたか/やり取りしていたかの把握は必ずしも十分ではないようです。
授業を観る視点が「教え方」に偏り、「生徒の学び(=学ばせ方)」に意識が十分に向いていないことが、こうした発言のバランスに現れているように思います。
生徒の学びを周囲から十分に観察できなかった根本的な問題が、授業者による「問い掛けの不足」「生徒にアウトプットさせる機会の欠如」にあるなら、そこを改めるよう促すフィードバックがあって然るべきですが、研究協議などでそうした指摘・助言を耳にするのは稀です。
(岡目八目と言いますが、周囲の目で生徒の理解や思考を把握できないなら、授業者ご本人の把握はさらに不十分なものかもしれません。)
授業者の行動には「先生が何をしようとしているか」を把握するのに必要な程度の意識を振り分けるぐらいにして、残りの意識は生徒の手元を覗き込んだり、生徒同士のやり取りに耳を傾けたりすることに当てた方が、「好適な手法や改善すべき点」を見逃すリスクが下がります。
❏ 他の教科の授業をを観て、生徒のポテンシャルを知る
生徒の動かし方(=学ばせ方)を研究する上では、他の教科・科目の授業も大いに参考になります。特に、普段自分が担当しているクラスが他の教科・科目の授業を受けている光景は、是非とも見ておくべきです。
発言を促してもちっとも積極的に声を上げてくれなかったクラスが、他の先生の授業でやたらと盛り上がり、練習に一生懸命に取り組んでいる様子を目の当たりにすることも少なくないはずです。
環境作りや働きかけ方の違いが、生徒の反応をまるで違うものにします。彼我の違いには、有効な指導法を確立するヒントが沢山です。
先生方のそれまでのやり方を、学習者特性に合ったものに少しアレンジするだけで主体的な学びが実現に大きく近づく可能性が、そこに見つかるのではないでしょうか。
生徒にはそれぞれ学習者として備えたレディネスがあり、クラスにもコミュニティとして獲得している特性があります。そうした個人/集団の特性と学ばせ方とのマッチングに十分な意識を向けないと、生徒が先生のやり方に合わせきれないところに「学びの綻び」が生じます。
❏ 生徒の能力・資質を多面的に把握し、指導計画に反映
自分が担当している授業だけでは、クラスの本当の姿を把握することはできません。黒板の前の立ち位置からの観察だけではなおさらです。
生徒がポテンシャルを見せてくれるのは、こちらからの働きかけに応じた部分だけであることを忘れないようにしましょう。
同じ先生が同じように教えているだけで、学ばせ方が固定していたら、生徒の能力・資質は一面しか見て取れていないということです。
新課程では、各教科・科目でそれぞれの単元内容(コンテンツ)を学ばせながら、様々な能力や資質(コンピテンシー)を獲得させるという発想が「カリキュラムマネジメント」に不可欠です。
他教科・他科目の授業を受けている生徒の様子を観察するのは、21世紀型能力の一つひとつを自分が教えるクラスの生徒がどこまで獲得しているか、より多面的に捉える絶好の機会ではないでしょうか。
学習方策や汎用スキルなど、想像しなかったものを生徒は身につけているかもしれません。生徒が何をどこまでできるか正確に/多面的に把握しないことには、指導の計画や授業のデザインも方向性を誤ります。
協働学習を集団としての調和で終わらせては、深く確かな学びが実現しないのと同様に、教室を授業者の活躍の場にしてしまっては「生徒主体の学び」の実現には近づけません。
他の先生の授業を観るときに、生徒の動き方/反応/成果にしっかりと注意の目を向けないと、授業改善の方向性を誤るリスクが膨らみます。
その2に続く
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一