高大接続改革以降、パフォーマンスモデルからコンピテンシーモデルへの学力観の転換に伴う「新たな学ばせ方の確立」、さらには「総合的な探究の時間の指導法の開発」といった課題もあり、先生方が知恵を出し合い、協働で新たなチャレンジに取り組む機会が増えてきました。
こうした「新たなチャレンジ」に取り組むときに大切なのは、目指すところを明確にして、工夫の一つひとつの効果を測定すること。効果測定なしには、いつまでも「試行錯誤」に生徒を巻き込みかねません。
これに加えて、先生方が協働でチャレンジしていくときには、「目標を共有した上で、それぞれが最善と思う方法を試し、その結果を比較してより大きな効果を得たものを探し出す」ことへの注力も必要です。
現時点で最も効果をあげている取り組み/指導手法をシェアした上で、そのブラッシュアップにそれぞれが知恵を巡らして挑んだ成果を、都度共有することの積み重ねの中でこそ、最適解への接近が図れます。
そこでは効果測定の方法を(たとえ仮説であっても)きちんと用意すること、データを正しく利用し、効果を測定した結果を冷静に受け止める姿勢を持つことなどが大切なのは言うまでもありません。
2019/08/26 公開の「記事まとめ」をアップデートしました。
学校に限ったことではありませんが、新しいことを導入しようとしたときにきちんと踏みたい手順というものがあります。新しい取り組みの手順と方法だけ決めて「全生徒を対象にいっぺんに実施!」というのでは乱暴すぎるのではないでしょうか。うまくいく保証がないものに全体を巻き込むリスクは避けたいところ。決めた手順を実施することは目的ではありません。指導目標とその達成を検証する方法から先に考えることが大切です。
ある単元の指導案を持ち寄ってその改善協議をするとき、あるいは教育実習生にアドバイスをするときなど、参加者それぞれの経験や考え方が競合を起こし、議論がかみ合わないことも少なくないかと思います。エビデンスがないまま指導案/指導方法の優劣を論じても、主観がぶつかり合うばかりで、簡単には「より良い指導の方法を作り出す協働の場」になりません。先ずはどんな問いや課題で学習目標の達成を測るかの議論からでしょう。
生徒をそれまでやらせたことがないことに挑ませれば、最初の戸惑いは当たり前のこと。教科書をきちんと読ませる、質問を引き出すといった活動でも、最初からスムーズに運ぶのはむしろレアケースです。最初のトライで上手くいかないからといって挑戦を止めては生徒はいつまでたってもできるようにはなりません。やらせようとしたのが必要なことなら、引っ込めるのではなく、生徒が反応できなかった原因を取り除くことにこそ注力すべきです。
定期考査の共通化に加えて、プリントやワークシートなども共有が図られているのに、教材の使い方などに担当者間で小さからぬ違いが生じていることが少なくありません。指導案の解釈が先生ごとにバラバラということでしょう。考査や教材の共通化を図った直後であれば、ある程度の違いが生じるのは止むを得ませんが、一定期間を経ても違いが解消に向かっていないとしたら、授業改善に向けた先生方の協働のあり方に見直すべき点がありそうです。
進学実績にしろ、模擬試験や外部検定の成績にしろ、あるいは授業評価や学校評価のアンケートにしろ、成果が出たときの行動こそが重要です。成功にはそれをもたらした要因と理由がありますので、それを分析的に捉え、共有と継承ができる形に可視化しておくことが大切。ある学年で大きな成績伸長があったにも拘わらず、1年後に次の学年が同じ局面を迎えたときに「後戻り」が観察されたとしたら、前年度の知見が十分に生かされなかったということです。
以前、新聞紙上で「授業に集中してる? 生徒の脳、活動量をセンサーで計測」という記事を読みました。脳の司令塔と言われる前頭前野の活動量を調べるセンサーを生徒のおでこに付け、授業中に生徒の脳がどれだけ活発に働いているかをリアルタイムに把握するとのこと。同じ環境を自校に作るのは無理でしょうが、(この実験に限らず)各地の先端研究で明らかにされた知見に基づき、自分の授業や学校の教育活動をより良いものにする工夫はできるはずです。
総合的な探究の時間をはじめ、新しい学力観に沿った新たな教育活動が次々と導入され、その指導法の確立は喫緊の課題です。新たな指導法を考えるときに大切なのは、マニュアル作りを先行させることではなく、目標とするところを先生方がしっかり共有した上で、それぞれが最善と思う方法で指導に当たり、その成果を持ち寄って比較し、より良い方法を選び出していくこと。「規矩不可行尽」とも言います。決まり事で縛ったところに創意工夫は生まれません。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一