英語はこれまでのところ、国語や数学、理科、社会と同等のポジションを与えられており、英語という教科(正確には科目)の力を身につけること自体が目的とされてきたように思います。
しかしながら、これから先の時代では「英語は様々な事柄を扱うときに情報のインプット/アウトプットを担う道具・手段に過ぎない」という捉え方が主流になっていくのではないでしょうか。
そういえば、「英語で飯を食う」という言い回しを見聞きすることも減りました。これは、英語が目的科目としての地位を失い、手段科目へと立場を移してきていることを示す一例かもしれません。
❏ 手段だからこそ高い運用力が求められる
目的科目から手段科目に変わると言っても、英語学習に投じるべきエネルギーがこれまでより少なくて良いとか、目指すレベルを下げて良いということではありません。
むしろ、より高い次元での運用力が求められるようになります。
読むこと、聴くことだけを考えてみても、現状で要求される水準で良しとするわけにはいかないのは明らかです。
センター試験の英語では、130wpmの読解速度を獲得していれば、設問をじっくり考えながら完答できますし、主要な英語検定のリスニングでは150~160wpm程度でしょう。
一方、ネイティブの読解速度は平均で400~500wpmともいわれ、最も遅い人でも200wpmだそうです。
研究開発大学に進んで専門分野を学ぼうとしたとき、同じ論文を読むのに相手の3分の1のスピードでは勝負になりませんよね。
どんどん新しい知見を得て先に進む相手の背中が、遠くなっていくのをただ見送るばかりになりそうです。
❏ 学んだことを意識下で使えるようになるまで繰り返す
運用力を高めようと思ったら、学んだことを「意識下」で使えるようになるまで刷り込む必要があります。大工さんが、道具の使い方をいちいち調べたり確認したりしていたら仕事にならないのと同じです。
きちんと理解させたことを、様々な形で幾度も使わせ、きっちりと「自分のもの」にさせることにこれまで以上の注力が必要です。
本文に含まれている言語材料に繰り返し触れさせる最善の方法のひとつは何度も本文を読ませることです。
CDを聞かせながら本文を黙読する、重ね読みをする、シャドウイングさせるなどの、リスニングとセットにした活動も徹底したいところ。
ペア読みを行わせながら、徐々になるべく教科書を見ないようにさせていく、暗唱の前段階に相当する練習も良いと思います。
また、本文内容についての問いを立てさせる活動に取り組ませると、ポイントになる箇所を探すことに夢中になるうちに、意識せずに幾度も本文を読ませることができます。
❏ いっぺんに厚塗りするより、間をあけて重ね塗り
様々な活動と組み合わせながら本文を何度も読ませると言っても、間を空けずいっぺんに厚塗りするのは得策ではありません。
適当な間隔を空けて重ね塗りしたほうが、休止期間を置くことで整理が進むこともあれば、保持されなくなりつつある記憶の再記銘を図ることにも繋がり、結果的に学習効果は高まります。
授業の冒頭で前日の復習を兼ねたディクテーションを課した上で、ペアでの音読をさせることを始業のルーチンとしたクラスでは、定期考査の平均点でも他のクラスを凌駕する成績を得ていました。
単元のまとめなどで、そこまでに学んだ範囲を読み返して問いを立てるという課題に取り組ませるのも、学んで理解したことの重ね塗りを図る有効な手立てです。
教科書を3レッスンほど遡っての暗唱やシャドウイングに取り組ませているケースでは模試成績にも顕著な向上が見られました。
重ね塗りによる刷り込みは、学力を確実に高めるとともに、学ばせたことを自在に使える道具にさせるためにも欠かせないものとお考えいただく必要があります。
❏ 運用力に加えて、思考のオリジナリティ
英語の運用力をこれまで以上に引き上げることの必要性と、そのための「学びの重ね塗り」の重要性は上記の通りですが、それだけでは結局のところ、英語学習を自己目的化していることになります。
海外研修を経験してきた生徒が口にするように、英語が十分に使いこなせプレゼンテーションが上手にできたとしても、伝えることにオリジナリティがなければ相手は耳を貸してくれません。
読んだり聞いたりして理解したことをもとに思考して、自分なりのアイデアや意見を構築できるかどうかが問われます。
その場で得た情報を、他所で手に入れた知識やこれまでの経験で蓄積した気づきと結び付けて、組み直してみたり、新たな方法で捉え直してみたりすることが求められます。
英語を学ばせるときの活動にも、こうした要素を持たせる必要があるのではないでしょうか。
読解問題やリスニング問題で、内容理解や正誤判定に正解できるだけでは、オリジナリティのあるアイデアを生み出す力を身につけたことにはなりません。
❏ 内容把握や正誤判定問題だけでは限界がある
読ませたり聞かせたりしたことを理解させることは、言うならばスターティングブロックに足をかけさせる段階であり、生徒が自ら考えて解を導くべき問いや課題を与えて考えさせてようやく「用意、ドン」です。
生徒に英文の理解に挑ませるときは、そこで得た理解を元に考えて、自ら解を導くべき問いや課題を用意することが、英語の学び方に正しい方向を示す上で欠かせません。
ここで養った力をより広範に活かせるようにするには、教科・科目の枠を超えたところに「英語を使う場面」を設ける必要もあるはずです。
総合的な学習の時間や探究活動、課題研究などにおいても、先行研究の調査などのインプットや、論文のサマリーを書いたりプレゼンテーションを行ったりするときのアウトプットに、英語を使わせるような設計にしたいものです。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一