体験学習をただの体験で終わらせない
多くの学校が、生徒に様々な「体験学習」の場を用意しています。農村や里山などを訪ねたり、防災活動などで地域社会に関わったり、各校の教育意図から生まれたプログラムには大きな期待が向けられています。修学旅行や海外研修でも、以前に比べて意図の明確なものが多くなっているのは、先生方もお感じになっておられるところだと思います。しかしながら、実際の運用を拝見する中、せっかくの貴重な体験が生徒にとって有為な学びに…
当オフィスは、各地の学校で授業力向上や教育改善・学校改革のお手伝いをしています。
多くの学校が、生徒に様々な「体験学習」の場を用意しています。農村や里山などを訪ねたり、防災活動などで地域社会に関わったり、各校の教育意図から生まれたプログラムには大きな期待が向けられています。修学旅行や海外研修でも、以前に比べて意図の明確なものが多くなっているのは、先生方もお感じになっておられるところだと思います。しかしながら、実際の運用を拝見する中、せっかくの貴重な体験が生徒にとって有為な学びに…
各地の学校で行われている探究活動や課題研究を拝見する中、生徒の取り組みにはいくつかの類型的な問題点があるのではないかという思いを強くしています。とりわけ、 調べ学習と探究活動の境界がどこにあるか理解していない わかっていることを調べ尽くす前に先に進もうとしている 選んだテーマに「自分ごと」としての関わりを見出していない などは、少なからぬ生徒に見出される特徴ではないでしょうか。これらはいずれも、探…
授業デザインを考えるとき、生徒が個人の活動で取り組むべきものと、集団の中での協働でしか学ばせられないものとを区別しておかないと、各単元で扱うべき学習内容を限られた指導機会に納めきれません。新課程では、学ぶべき内容は減らない中、対話を通した深い学びを実現することが求められます。授業時間という枠が同じところにより多くのものを詰め込むのは、相当の工夫なしには困難です。授業内に散らばる小さな無駄を省いて隙…
授業を進める中で、生徒に獲得させる知識をどこまで拡張するか。そう簡単には判断がつかない問題です。難関私大をその科目で受験する生徒を考えれば、ある程度は細かいところにも触れておく必要もあるでしょうが、クラスにはそうした生徒ばかりではありません。前者のニーズを満たそうとすると他の生徒には過剰な負担を与えかねません。学ばせる範囲を拡張し過ぎては、やりきれずに放置してしまう生徒も出てきますし、他教科の学び…
ある学校を訪ねて参観した英語の授業では、教科書本文の音読を様々なバリエーションで徹底的に行った上で、生徒が3人1組になって本文の内容に関する「問い」をそれぞれ作っていました。A君の問いにはB君が、B君の問いにはC君がといった具合に互いに答えを作ります。音読を重ねる中で、英文の構造なども十分に把握し、内容を捉えていく様子が見て取れましたし、後半のQ&Aを作るパートでは辞書の活用や教え合いなどで不明を…
複数の先生方が同じ教科書・副教材を使ってクラスを分担するケースは少なくありませんが、定期考査の共通化(評価の公平さを保つには不可欠です)に加えて、プリントやワークシートなども共有が図られているのに、教材の使い方などに担当者間で小さからぬ違いが生じていることが少なくありません。指導案の解釈にも差がありそうです。例えば、ワークシートを埋めさせるところでも、説明を聞かせるだけの先生もいれば、問い掛けて生…
生徒に限らず、人は失敗をしながら学ぶのだと思います。既にできるようになっていることしかやらなければ、失敗のリスクは小さいでしょうが、そこに大きな成長は見込めないはずです。達成感も希薄でしょう。今できることの少し上に挑んでこそ、それをクリアするのに現状の自分に足りないものに気づけます。既に跳べる段数の跳び箱を繰り返しても飛べているだけに「これで良し」と思い込んでしまうかもしれません。何かに挑戦して最…
失敗を積極的に経験させるといっても、誰しもわざわざ失敗などしたくないものです。前稿に触れたような「失敗を重ねて自己効力感を弱め、学びが消極的なものになるのを抑える工夫」を凝らしても、それだけでは失敗のリスクを冒してまで積極的に挑戦する姿勢は生まれません。ものごとに積極的にトライする姿勢を生徒に取らせるには、失敗への不安を上回る強い動機を持たせるための仕掛けを講じる必要があります。 2015/01/…
何かにトライして上手くいかないことは、確かに楽しい体験ではないでしょうが、失敗してこそ学ぶものがあることもまた事実。すでに出来るようになっていることだけ繰り返していては、もう一段上を目指すのに足りないものがあっても、それに気づく機会すら持てません。失敗を恐れて尻込みをしていては、重ねるべき経験をやり過ごし、進歩にもブレーキがかかります。辿りつけるはずだったゴールは遠くのままでしょうし、周囲を見渡し…
生徒の思考力を鍛えられるのは「正解や解法を示すまで」です。答えや解き方がわかった後にできるのは、解に至る過程を辿り直して、「なるほど、そうか」と納得すること(+答えを覚えること)くらいです。そこでは、答えを導き出すために重ねるべき思考(題意の理解/問題の発見、解法の考案など)の大半を、生徒は自ら体験できません。答えを導くべき問いや解決すべき課題を与えたら、生徒が十分に思考を尽くすまで、不用意に正解…
宿題をやってこない生徒への対応に頭を悩ませている先生方は少なくないと思います。何の指導もしなければ、生徒の行動を改めさせることもできません。かといって、その場で叱ってみたところで貴重な授業時間を費やす割りに効果は限定的。クラスの空気が重たくなるだけかも…。こうしたジレンマを打ち破るカギは、宿題を、その日の授業を進める上で必要な準備として課したものと、それ以外の目的(既に学んだことの深化や知識の拡張…
生徒にどのような授業外学習の課題(予習・復習、宿題など)を与えるかで、生徒の学び方が大きく変わります。教室での対面で行う学習活動でやることと、生徒が個々に取り組む学習活動でカバーすることの線引きを曖昧にしては新しい学力観が求める「学ばせ方」も実現しません。当然ながら、各教科の指導に当たる先生方は、生徒の学力を伸ばすために様々な課題を用意しますが、熱意が行き過ぎて、課題の総量が生徒のこなせる範囲を超…
生徒が抱える課題の総量を適正範囲に収めるように調整するにしても、家庭学習にどのくらい時間を投じさせるべきなのか、合理的に導かれた目安値がないと、増やすか減らすかの判断もつきません。3年間あるいは6年間を見通した学習指導計画において「この時期にはこのくらいの時間を家庭学習に充てさせる」という目安をきちんとした根拠に基づいて決めたいところ。受験学年で単元進行と入試対策を並行することが多い理社に十分な時…
教科間で調整を行いつつ、課題(予復習、宿題など)の総量を適切な範囲にキープするには、いくつかの数字を把握しておく必要があります。ひとつは「生徒一人ひとりが授業外の学習に充てている実際の時間」。一般的には「家庭学習時間」と呼ばれますが、放課後の自習室で勉強をする時間や通学の電車・バスで参考書を広げる時間なども含めるべきですので、呼称は「授業外学習時間」の方が適切かもしれません。これに加えて、各教科の…
課題に取り組み、努力や工夫で達成できたら、生徒の中には自信が生まれ、達成への過程では新たな能力や資質を獲得し、課題への向き合い方も学んでくれますが、レディネスや時間の不足で課題を完遂することができなかったら…。生徒にとっても面白かろうはずがありません。やるべきことを完遂しない/できないでいることを不用意に繰り返させていては、学ぶ意欲や完遂を目指す姿勢は失われていくばかり。その先で得られた可能性のあ…
知識の獲得・拡充を図る場面でも、獲得した知識を活用して課題に解を導く場面でも「適切な支援を行って完遂に導くこと」は指導者が果たすべき責任です。やりきらない/仕上げきれないことを習慣化させたときに生じる弊害は小さくありません。努力や工夫を重ねて物事を完遂した達成感は、生徒に自信を与えるとともに、その過程で様々な学びの方策を身につけさせていきますが、それと逆に、挑んでみて壁に跳ね返される体験を重ねさせ…