同じ授業を受けていても、生徒のノートの取り方は実に様々。おざなりなノートの取り方に「復習するときにわかるのか?」と心配になることもあれば、先生の板書を綺麗に写し取るだけで、それ以外まったく書き込まれていない(=本人の思考の痕跡がない)ことも少なからずです。
その一方、同じ教室にはしっかりと整理されたノートに、散在していた情報をきちんと集め、構造化している生徒もいたりします。同じ授業を受けていても、どんなノートを起こせているかで、そこで学んでいることはまったく違っているのではないでしょうか。
ノート作りを目的にするわけではありませんが、学びにどう向かわせるかで「どんなノートになるか」が決まるとなれば、タイトルにあるように、ノートを観察の対象に、生徒がどんな学びの方策と姿勢を身につけているかを把握し、その後の指導に役立てる必要もありそうです。
2017/03/07 公開の記事を再アップデートしました。
❏ どんなノートを取れているか=どう学んでいるか
ノートはその生徒の学び方を端的に映し出します。板書を書き写すだけの生徒は、「習ったことをそのまま覚える学習」に終始している可能性が大きい。そのままでは、主体的に学びに向かう姿勢は育めません。
一方で、授業を受けているときの気づきや思考を言語化して残せている生徒もいます。両者の違いは学習方策の違いそのもの。それを放置しては、学びの成果の積み上げには、差がますます大きくなるばかりです。
授業中の様子を観察することが第一ですが、ノートには授業準備や事後学習の痕跡も残されている「はず」であり、教室内の観察ではカバーできないところまで目を届かせる(観察してみる)好機でもあります。
新学期だけでなく、折に触れて一人ひとりのノートに目を通し、必要な指導を重ねながら、正しい学びの姿勢と必要なスキルを獲得させていきましょう。板書をちゃんと書き写していればOKとしてはいけません。
❏ 板書を「正しく写せない」「写すことしかできない」
ノートにメモを取らせる指導が必要な状態には、「二つの段階」があります。それぞれの状態を把握した上で、適切な指導につなげましょう。
一つは、板書のレイアウトを崩して写してしまうケース。先生が整理・構造化した情報をわざわざ壊してしまうのは、情報に構造があること自体に気づいていないからです。
断片的な情報をいくら積み上げても「生きて働く知識・理解」にはなりません。「なぜこのレイアウトにしたのか」「なぜ色を分けたのか」と問い掛けることが、その気づきを引き出すきっかけになるはずです。
もう一つは、板書を正確に写せてはいるが、それ以外は何も残せていないケース。板書には要点が絞られている分、後で見直したときに理解を再現するための「つなぎのパーツ」が残っていません。
先生の言葉から大事なことをピックアップして書き留めたり、発問を自ら文字に起こしたりできる生徒は少数派です。
これはこれまでの学習習慣の結果であり、指導側にも問題の一端はあります。サブノートの空所を埋めるだけ、ワークシートの枠内を埋めるだけでOKとしてきた結果、自分で情報を構造化したり、気づきを言語化したりする機会が失われてきたのではないでしょうか。
授業に限らず、自分でもしっかり考えながら他人の話を聞いていれば、自ずと気づきもたくさんあるはずです。その多くは小さな/些細なものかもしれませんが、考えたことを言語化する習慣を身につけることは、思考や表現の力を高める上でも重要な役割を担います。(別稿参照)
❏ ノートを汚さないように、正解が確定するのを待つ生徒
これら2つに加え、ノートを汚したくないのか、先生が正解を板書する/口頭で伝えるまで、何もノートに取らない生徒も少なからずいます。
そうした生徒の場合、ノートそのものはきれいにまとまっていたとしても、最初に自分が作った答えを、学びを経て修正して、正解に近づいた痕跡はノートの中には見当たりません。
上記の記事でお伝えしたことを、生徒の意識にきちんと刻めれば、「答えを待つ」との選択はなくなるはず。「ノートをきれいに汚すこと」の意味と方法を学ばせ、その習慣を身につけさせていきましょう。
他者(多くの場合は先生)が作った答えを受け取り、それを再現するだけでは、これからの社会を生きていく中で出会う「正解や解法が未確立の問題」に対処する力は身につきません。そもそも、自分で考えてこそ思考力は鍛えられ、思考を言語化してこそ表現力は高まります。
自分なりの答えを作ったのちに、学びと対話を重ねて思考を拡張し、より良い答えに近づいていく過程そのものが学びであることを、そうした生徒の意識に刻み込んでいく必要があります。
ノート指導において、「仮の答えを書くスペース」と「作り直したより良い答えを書きこむ場所」とを分けさせることだけでも効果が期待できます。スペースを分ければ、そこに何かを書かないことには、ノートは仕上がらない以上、「きれいにノートをまとめたい」という欲求を持つ生徒ほど、仮の答えも書かずにいられないはずです。
❏ ノートテイクの力を観察して把握
生徒が自力でどんなノートを取れるようになっているかは、時々確かめてみる必要がありますが、日々の授業の中だけではあまり有為な観察ができないこともあります。
授業開きなどで提示した方法に沿ってノートを取っていたとしても、それは「言われたことをやっている」だけかもしれません。サブノート式のプリントやワークシートを用意していたら、生徒側での工夫の余地はかなり小さいはず。(cf. 教材づくりは、学習活動の配列を想定して)
事前の指導などがあまり及ばないときこそが、ノートテイクの力を観察して把握する好機です。年度冒頭の「授業開き」で、ガイダンスなしでミニ授業を行い、そこで生徒がどんなノートを取れるかを把握している先生もいらっしゃいます。以下のようなゲーム仕立ても好適かと…。

ノートテイクのスキルを評価する(ルーブリック試案)
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❏ 日々の授業以外での、ノートテイク指導と評価の機会
また、長期休業期間中の講習会や、クラスを跨いで希望者を集めた特別授業などでも、生徒がどんなノートを起こせるか注視してみましょう。
普段の授業で教わっている先生方のやり方が反映される部分もあり、好適なノートが取れる生徒が多いクラスでは、担当の先生の指導に倣うべき優れた実践が隠れているかもしれません。
外部から講師を招いた講演会なども観察の好機です。レジュメを前に話を聞いているだけの生徒(寝ているよりはましですが)、時々断片的に何かを書き込むのが精一杯という生徒もいるはず。
多くの文字を書き込んでいる生徒でも、講演者の発言をなぞるだけのケースもあれば、自分なりに考えたことや疑問に思ったことをしっかりと言語化できている生徒もいるかもしれません。
好適なノート/メモを見つけたら、コピーしておき、別の機会に教室でシェアしてノートテイクの好例を学ばせる教材にしても良さそうです。先生に指示された方法に倣うだけより、周囲の取り組みに刺激を受けて学んだものの方が「自らのもの」として身につくはずです。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
