インターネット上には膨大な情報があり、それを学習した生成AIは、どんな問いにも瞬時に答え(正解とは限りませんが、少なくとも確率的に最も妥当な[尤もらしい]語の連鎖)を提示してくれます。もはや、ググって表示された結果を見比べる手間すら不要になってきました。
こういう状況になると、「物事をいちいち覚えておく必要があるのか」という疑問も生じます。そもそも、日々新たな情報と知が生み出されるスピードは、人が学べるペースとはそれこそ桁違い。「ついて行こう」とする努力すら虚しく思えてしまうのも無理からぬところかと…。
しかしながら、学んで記憶に蓄積するものは、何かの必要に応えて想起する場面でのみ活きるものではありません。ふとした弾みに生まれる発想の土台になるもの、いわば「創造力の源」でもあるはずです。
また、ググったり、ジピったり(検索したり、AIに尋ねたり)するときも、頭の中にある知識や情報が起点。まったく知らないところでは、検索ワードも浮かばなければ、プロンプトも起こせないはずです。
❏ 学習量に応じて拡張する思考の力(理解・予測)
記憶の中に収められた知識や情報は、物事を理解したり、展開を予測したりするときにも使われています。きちんと記憶に刻み、整理され、自在に想起できる記憶は、体系的に物事を考え進めるときの鍵でしょう。
もちろん、調べながら考えるのも可能ですが、脳内の記憶と違い、新たに得た情報は、メモに書き出すなど、整理と保持に手間が掛かります。
頭の中での検索は、スマホやパソコンを使ったものと違い、言語化できていないものも手繰り寄せられるのが最大の利点。思考を拡張させる力にも「(調べて得る)外にある情報」とは歴然とした差があります。
大規模言語モデルに基づく生成AIも、膨大な学習データから確率的に高い言葉のつながりで「推論」していきますが、人の頭のメカニズムも似たものと考える研究者もいます。どれだけ学習したか(=記憶に収めたか)は、思考をどこまで拡張できるかを左右するということです。
思考の土台になるのは、論理的に体系化された知識・情報だけでなく、知識に再構成される前の「断片的な体験の記憶」なども含まれます。
何かを考えているときに、うろ覚えの記憶が沸き上がり、それが「最後のピース」として思考がまとまった体験は誰もがお持ちかと思います。
学習や体験を通じて積み上げた記憶の量は、思考(理解や予測)の力の上限を左右する大きな要素。その重要性はこれからも変わりません。
❏ 覚える力を鍛える訓練+印象を記憶に刻む行動の習慣化
学習で獲得する記憶を効率よく増加させるには、覚える力そのものを高めていく方向と、体験したことをきちんと印象に刻むための行動を習慣化する方向の「2面」で進めていくのが好適だと思います。
記憶に優れた人ほど、知識量の拡大ペースが速いのは容易に想像できるところ。覚える力を鍛えるには、記銘と想起を繰り返し、記憶の回路を活性化していくのが「王道」でしょう。
テスト勉強は、覚える力を鍛えるトレーニングの場としても重要な役割を持ちます。定期考査もそうですが、日々の小テストで鍛えられている部分(覚えるための工夫など)も小さくないはずです。
また、様々なもの(情報)に触れたり、体験したりしても、その印象を記憶に刻むことを意識しないと、短期記憶の飽和で記憶に収めるまえに忘れてしまいます。感じたこと(+そこに付与した「意味」)を言語化することを習慣化できているかどうかで、雲泥の差が生じます。
❏ 記憶への刻み込み方を、日々の教室で学ばせる
覚える力を高めるのに「根性と反復」だけでは無策に過ぎます。効率も悪い上に、丸暗記を助長することも大きな問題だと思います。
そもそも「学びに向かう姿勢」(生徒が自らの学習状況を把握し、学習方法を試行錯誤しながら、意欲的に学習に取り組む態度)を育もうとしている以上、「粘り強く取り組む力」だけでOKとするわけにはいかないはず。「自らの学びを調整する力」にも目を向けさせましょう。
物事を覚えやすくするための工夫というと、以下のようなものが頭に浮かびます。いずれも、各教科の学びの中(日々の教室)で、やり方を示したり、実際にやらせてみて覚えさせることができるはずです。
- イメージ化(視覚的・空間的な連想)
- 音韻的処理(語呂合わせ・リズム化)
- 身体化(動作を伴う学習)
- エピソード接続(個人的体験と結びつける)
- 分散学習(時間をあけて繰り返す)
上記はいずれも「覚える」ことを主たる目的にした行動ですが、記憶に収めることがらの「構造化」や「意味づけ」を重視したアプローチの方が、理解や予測といった思考に活かしやすい形の記憶が作れそうです。
課題解決という「文脈」の中に学習内容を置けば、情報の構造化も自然に行われますし、課題(目的)との結びつきで意味も与えられます。
他者への説明というタスクも、アウトプットによる再構成を促すでしょうし、学習した内容をもとに問題を作ったり、活用例やその場面を考えたりするタスクも、「使える記憶」の獲得という目的に合致します。
こうしたタスクに取り組む機会を、日々の学びの中に整えられるかどうかで、生徒が卒業までに、あるいはその後の学修や生活の中で獲得していく「思考(理解や予測)の力」に小さからぬ違いを生じるはずです。
■関連記事:
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- 記憶に格納する知識、外部参照する知識(その1、その2)
- 情報を集めて編む作業で知識獲得の方法を学ぶ(その1、その2)
- ノート持ち込み可の定期考査がもたらすもの
追記)思考の起点は、自ら立てた問いとその背後にある意図
大規模言語モデルに基づくAIは、多量の学習結果をベースに、最も確率の高い語のつながり(=尤もらしい答え)を出力します。しかし、それは「考えている」のではなく、「予測している」だけです。
私たちの思考も、経験や知識(=記憶)を土台とする点は同じですが、人間の思考は「問い」や「意図」から始まる点が決定的に異なります。
何かを(周囲から)尋ねられて、答えを考えるだけでなく、観察の中から生じた問題意識と、それを解決したいとの思いから生まれる思考が、最も人間らしい思考と言えるのではないでしょうか。
ものごとにしっかりと目を向け、漠然とした違和感も見逃さない姿勢を持たせることにも注力して、生徒の指導・育成に当たりたいものです。
政策決定にAIを活用するにも、根っこの問題意識と、どのような社会を実現したいかという意図をしっかり持ち合わせないと、心の通わぬ、一見すると合理的でも実際には人が生きにくい社会が生まれそうです。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一