進路指導計画は大きく分けると、「進路意識を形成する過程」と「進路希望を具体化し実現する過程」の2つで構成されており、前者の中に配置されているのが「自分を知る」ことをテーマにしたセクションです。
自己分析、自己理解など、呼び方は学校によって様々ですが、「職業や社会を知ること」「大学や学問を知ること」とともに、3ヵ年/6ヵ年の進路指導計画に何らかの形で配列されているはずです。
2019/11/18 公開の記事を再アップデートしました。
❏ 知るべき「自分」は、経験と学習を重ねて変化する
中学・高校の進路指導/進路学習においてよく使われる「自分を知る」ですが、勉強を含む様々な領域の「得意・不得意」をパラメータとして並べただけでは、その総体で「自分」を記述することはできません。
無論、強みを活かすことは進路選択の上で重要でしょうが、得意・不得意は、努力を重ねたり、取り組みを工夫したり、あるいは良い指導者に巡り合うことでガラッと変わってしまうことも珍しくありません。
もう一つ、しばしば焦点化される「自分がどんなことに価値を置いている(大切にしている)か」も、簡単に捉えきれるものではありません。
適性診断のアンケートで質問を並べて答えさせ、その結果を統計的に解析してみれば、確率的に「こういうタイプである可能性が最も高い」というところまで絞ることができます。しかしながら、低い可能性を示されたことの中に事実が潜んでいることだってあるはずです。
そもそも、それまでに経験したことのない/考えたこともない領域については、「関心があるか」を問われても、正しい判断はできませんし、深く考えたことがないことであるが故、「(現時点では)関心はない」という答えになっていることだって多々あるでしょう。
こうした結果を鵜呑みにしてしまうと、生徒一人ひとりがもつ「隠れた可能性」を見落とすリスクを高めかねません。
ある時点での診断の結果は、それが学力や能力であれ、価値観といったものであれ、あくまでもその時点での結果。その後の経験や学習の積み上げの中でいくらでも「変化するもの」であると認識すべきです。
進路選択には「期限」がありますので、いつまでも結論を先送りにはできませんが、選択のタイムリミットを迎えるぎりぎりまで、できるだけ多くのことを体験させ、そのたびに内省を重ねさせていくことが、生徒がもつ潜在的な可能性を埋もれさせないことに繋がると考えます。
❏ やってみて、自分がどう反応するか確かめる
自分がどんなことに関心を持ち、大切にしたいのかを知るには、ジャンルを絞らず、様々なことにチャレンジしてみることが欠かせません。
いろんなことに取り組んでみれば、そこでの体験に自分がどんな感情を持つか、どう反応するかを知ることができます。これが、「自分は何を大切にするか」を知ることの入り口です。
実際にやってみたら期待していたほど夢中になれなかったということもあれば、乗り気はしなかったものの、やむなく参加してみたらとても感じるものが大きかった、というのはよくあることだと思います。
小中学校での総合的な学習の時間が、体験的・横断的な学びの場として設定されているのは、想定しなかった自分に出会うためでもあります。
様々な経験をさせ、対象への理解を深めることを目的に、プログラムを作る/行事を計画することも多いと思いますが、主眼を置くべきところは寧ろ、「体験を通し、対象に自分がどう反応するか(何を感じ、どう考えるか)を、生徒自身が確かめる機会」とすることでしょう。
進路行事や体験学習について「設計の合理性」を判断するには、「見聞き/体験するものに生徒が当事者としての関わりを見出せる仕掛けが組み込めているか」を、しっかりと観点に据える必要があります。
体験的・横断的な学びを経たら、次は探究的な学びの段階です。自分が抱いた興味や関心の正体を探り、学問研究や社会が取り組む課題に対して自分はどんな関わりを持てるのかを深く考えさせていきましょう。
これらを経て、進路意識が形成され、進路希望が具体化してきたら、第一志望宣言や志望理由書の草稿作りを通して、自己理解に努めてきた「成果」を言語化し、見落としなどがないかを確かめるフェイズです。
進路面談での先生方の対話(+そこに臨むべく余念なく取り組ませる準備)で、結果に向き合えるだけの選択に至らせたいところです。身近になった生成AIも適切に使わせ、選択に向き合わせていきましょう。
禅語に「冷暖自知」というのがありますが、冷たいか熱いかはあくまでも当人の感じ方。他人からの情報やコメントの通りに感じるものではありません。触れてみてこそ、自分にとっての価値が分かります。
計画的偶発性理論のジョン・D・クランボルツも「いろいろな活動に参加して、好きなこと・嫌いなことを発見するために、どんな活動にも積極的に取り組もう」と言っています。(cf. ゴールを決めて最短距離?)
あらゆるジャンルに(当人の好き嫌いにかかわらず)触れる/学ぶことができる(=対象との接点を探れる)ことは、高等学校までの教育課程が持つ最大の強みの一つだと思います。
日々の教科学習指導の中にも、PBL的な学びを組み込むことで、そうした「自分を知る」ための機会を整えていくことができるはずです。そこで見出した興味を、総合的な探究の時間などの活動を通じて、「自分と、自分が関わる未来」にまで掘り下げさせていきましょう。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一
