生徒にとって新しい単元を学ぶのは、歩いたことのない道を歩き、訪ねたことのない目的地を目指すようなもの。歩き方にも色々とあります。
以下の3つのシチュエーションを思い浮かべてみると、次のチャレンジでも的確にゴールに辿り着けるかには小さからぬ違いがありそうです。
- 先導する先生にくっついて、先生が決めたルートをただ歩く。
- ゴールまで歩き終えたら、通ってきた道を地図上で確認する。
- 事前にゴールまでのルートを考え、地図で確認しながら歩く。
同様の違いは「教室での学ばせ方」にもあるはず。学習する内容が同じでも、そこに至る方法(学びへのアプローチ)によって、身につくものや学びの質が大きく異なってくるのは、容易に想像がつくところです。
2020/08/06 公開の記事をアップデートしました。
❏ 体験を知識・技能に構成して記憶に残すのが学び
2回目のチャレンジでも迷わず、きちんと(=ヤマ勘ではなく、根拠を持って)ゴールできたとしたら、初回に体験したことがきちんと学べていた(知識や技能として身に付いていた)ということ。
さらに、同じルートを辿るだけでなく、より効率的なルートを考え出せたとしたら、応用が利くところまで深い学びが実現していたはずです。
学んだことを活かして、別のゴール(問いや課題)に対してもルートが描ける(=解に至る過程を考案できる)ようになっていれば、学習で獲得した知識・技能は、まさに生きて働くものになっていたと言えます。
先のシチュエーション3つのうち、次も着実にゴールでき、別のルートも踏破できるようになる可能性は{ 3. > 2. > 1. }の順でしょう。
ガイドについて歩くだけの1. は、観光や散歩なら、気軽で安全な分、好適でしょうが、学びの場での活動としては足りないものが多すぎます。
単元内容を学ばせるのに、不明を残さず、効率的に知識や理解を授けることを優先して、ガイドを固めすぎると、生徒の学びは表面的なところに止まってしまうかも。どのようなアプローチで学ばせるかで「深く確かな学び」という成果を結ぶ可能性に、大きな違いが出るはずです。
❏ 先導されるだけでは、学べるものは小さい
1.では、よほどのことがない限り、生徒全員が無事にゴールできるでしょうが、生徒が行程をしっかり覚えて、次に同じ道を歩く機会にも道を間違えることなく目的地に到達できるかどうか怪しいところです。
カーナビの指示通りに車を運転しているだけでは、なかなか道を覚えられませんが、それと似たところがあります。
人に付いてただ歩いただけですから、ルートを少し外れた所に潜んでいたかもしれない危険も想像できないでしょうし、寄り道して別ルートを辿った場合に出会えたかもしれない景色は、想像すらできないはず。
教室で言えば、先生が決めた手順で授業を進め、疑問を残させず(=生徒は不明の所在にすら気づかず)に、単元内容を学び終えた状態です。
再び同じ目的地を目指す(=習ったのと同じ問題を解く)にしても、歩き終えた直後なら、記憶を辿って同じルートを踏破できるかもしれませんが、少し時間が経てば記憶は薄れ、途中で道に迷う危険が増えます。
また、ルートを考えたり、休憩地点を設定したり、周辺に危険はないか確かめたりするのは、先生がすべて先回りして済ませていたら、生徒は、その工程を何ひとつ経験できておらず、必要に迫られても自力でそうしたことができるようになっている可能性は相当に低そうです。
山歩きのスキルや状況判断などが身についているとは思えず、次の機会もまた、同じように「先生の後をついていく」しかなさそうです。
❏ 学び終えての振り返りが、成果をより大きく
2.の場合は、もう少し確かな学びが期待できそうです。地図上に描かれたルートと、歩いてきた自分の記憶を突き合わせる中で、「この分岐には大きな杉の木があった」とか、「小川を渡ってすぐに大きく右に曲がった」といったことを思い出しながら記憶の刻み直しができます。
また、「あそこで振り返れば富士山が見えたか」「近道もあったのか」と、歩いていた時に見落としていたことにも気づけるかもしれません。
教室での学びに置き換えると、情報整理や問題解決を終えて、残された板書を材料にそこまでのプロセスを振り返ることで得られる確認と発見に近いものがあります。
別稿「板書に残すもの(後編)」でも書いたことですが、「書き終えた板書を辿り直すことで深められる理解」というものがあります。
地図を辿り直すのに加え、教室での学びを終えてから、導入フェイズで示された問いに立ち戻りじっくりと答えを仕上げさせるのも好適です。
歩いた道を思い出しつつ、そこで学んだことを「問いへの答え」の形に編み直すことになりますので、思考が加わり、見落としや不明の補完もより精緻に行われます。(cf. 答えを仕上げる中で学びは深まる)
単元を学び終えてから、学習した範囲を見直させて、その中に質問を作らせる(=問いを立てさせる)のも、学びを深め、広げるのに大きな効果を持ち得ます。(cf. 質問を引き出す~学びを深め、広げるために)
❏ 課題を与えて、アプローチから考案させる
3.では、ゴールを指定し、事前に渡した地図の上でそこに到達するルートを考えさせています。答えに行き着く方法を生徒自身が考えますので、解法を考える力を身につけてくれることが期待できます。
これが喩えているのは、PBL(Project Based Learning:課題解決型学習)の要素を含む授業であるのは言うまでもありません。
ゴールは「学び終えて答えを導くべき問い/解決すべき問い」であり、地図は教科書や副教材、資料といったところでしょうか。
地図が読めなければ、合理的なルートの立案はおぼつきません。できるようになってもらう必要があることなので、きちんと生徒にやらせていきましょう。cf. 教科書をきちんと読ませる
目的地に至るルート(=答えを得る工程)に見通しを立てたら、一つひとつのステップを試してみながら、必要な修正を当初の計画に加えながら、自力で目的地を目指させて(実踏させて)いきましょう。
ルートの踏破に、それまでの様々な体験で培ってきた体力やスキルを駆使するなかでは、これまでの自分に不足しているものにも気づくはず。その都度、調べたり考えたりさせながら、補強させていきましょう。
❏ 自ら体験したことしか身に付かない
こうした活動を通して、生徒は適切なルートを立案し、踏破する技術と能力を身につけていきます。同じゴールを目指すときに迷うことはないでしょうし、次回はもっと効率的なルートを見つけるかもしれません。
別の機会に未踏の地を目指すとき(=新たな内容を学んでいくとき)にも、以前の体験(課題への挑戦)で身につけたものが活きるはずです。
深い学びが「より広く応用の効く学び」であるとしたら、ここで実現しているのはまさに深い学びだと思います。1.を繰り返すのではなく、2.と3.を組み合わせた学びをデザインできるかどうかが問われています。
こうした授業を実践しようとすれば自ずと指導には多くの時間がかかります。「教科書が終わらない」という事態を心配されるかもしれませんが、単元理解の軸さえしっかり作れば、扱えなかった知識の補完は、個人が行う学習活動でカバーできるはずです。
追記:PBLの要素を組み込んだ授業は「深く確かな学び」の実現に大きな可能性をもたらしてくれますが、生徒に任せっぱなしでは何が起きるかわかりません。理解の不足や勘違いなどから、ルートを大きく外れたり、危険に近づいたりしているかもしれません。
生徒の活動に常に観察の目を向けるだけでなく、生徒がアウトプットしたもの(答案、レポート、発表に加え、振り返りを通して残したリフレクション・ログなども)を観察し、生徒一人ひとりの学びの進捗と改善課題を捉えるようにすることも、授業デザイン以上に重要です。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一