建学の精神や教育目標をきちんと伝える(前編)

学校には、建学の精神や教育目標といったものが必ずあります。これを生徒にきちんと理解させるのは容易ではありませんが、しっかり理解させることができれば、学校の教育活動への理解や共感が高まるとともに生徒の成長を大きく促すことを示唆するデータがあります。
建学の精神や教育目的といったものは、普段、あまり顧みられなかったり、お題目を繰り返すだけのような扱いになったりしていることも珍しくないようです。
如上のデータに照らすと、どこかに大事にしまい込んでおいたり棚の上に飾っておいたりするのではなく、常に目に見えるところに取り出し、日々の教育活動の真ん中にしっかり据えておくべきものに思えます。

2018/01/08 公開の記事をアップデートしました。

❏ 教育目標を理解させるかどうかで、教育成果も変わる

以下のグラフは、ある高校における「生徒による学校評価アンケート」のデータをもとに作成したものです。
「学校の教育目標を理解しているか」という趣旨の質問に、肯定的に答えた生徒と否定的に答えた生徒でデータを分け、好適な資質の獲得に関する生徒の自己評価結果のクラス別集計値の分布を比較したものです。

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縦軸に置いた「好適な資質の獲得/自分の成長」は、

 規律ある生活や集団生活のマナー、

 目的を持った学習、社会への関わり方、

といった、生活・学習・進路の三領域において獲得を目指すべき資質や姿勢、生徒自身の成長について尋ねた項目群の平均値です。

❏ 「どちらかと言えば」の但し書き付きでは不十分

教育目標の理解について選んだ回答ごとに、「好適資質の獲得/自分の成長」の平均値をもう少し細かく見ると以下のようになっています。


見ての通り、「教育目標を理解していると思う」と答えた生徒と「どちらかと言えばそう思う」しか選べなかった生徒の間には平均値にかなり大きな差(0.4ポイント)が観測できます。
どちらかと言えばとの「但し書き」がついた肯定では、教育成果を確かなものに押し上げる効果はそれほど大きくないと考えられます。
建学の精神や教育目的は、生徒の中に刷り込むぐらいのつもりで、わかりやすく繰り返し、言及して見せることが大切だと思います。
日々の学校生活の中で、様々な話を生徒に聞かせるときに、建学の精神などに立ち戻り、関連づけながら話をできているかどうか、先生方も振り返ってみる必要があろうかと思います。
当然ながら、言って聞かせるだけでは「耳にタコ」になるだけ。理解が進むとは限りません。色々な場面での自分の行動や考え方を振り返らせるときに、内省の視点/評価の基準とさせていきましょう。

❏ 学校の教育活動に対する理解と共感

建学の精神や教育目標の理解を推し進めると、学校の教育活動に対する理解と共感を高めることもデータでわかります。

校内の学習環境や生活指導の方針、生徒の人権を尊重した指導といった先生方の指導者行動への評価を求めた項目でも、「教育目標を理解している」と答えた生徒とそうでない生徒の差は大きく出ています。
先のデータでは、前者の平均が 2.34 ポイントに達しているのに対し、「理解できていない」と答えた生徒からの評価は、 1.50 ポイント(肯定と否定が拮抗する水準)に過ぎません。
個々の指導に込めた意図や善意も伝わっていないということかも。これでは日々の指導での苦労も報われない気がします。

❏ 指導の背景にある意図の理解、ぶれのない指導の実現

最終的に何を目指して(=どんな生徒を育てようと)教育を行っているかを、相手に正しく理解してもらわないことには、個々の指導に込めた意図は正しく理解してもらえません。
理解されないだけでなく、ときには曲解や誤解が生じることさえ、想像のできるところです。
先生方ご自身もまた、個々の領域/局面での指導目標の「上位」に置かれる「教育目標/目的/理念」を常に意識しておかないと、個々の指導にブレが生じやすくなるはずです。
ブレている様子をみてとった生徒は、先生方の言動に不信感のようなものを抱くかもしれません。信頼が失われれば、思いや言葉も伝わりにくくなり、ますますややこしい状態に入り込みかねません。
建学の精神や学校の教育目的は、生徒に正しく理解させるとともに、先生方の間でもしっかりと共有することで、指導の目線合わせに役立てましょう。また、意識から漏れることのないよう、日々の指導を振り返るときにも、そこに立ち戻ることを習慣としたいところです。
後編(その2)に続く。

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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一