夏休みの宿題では昔からの「定番」になっているものの一つに、英語のサイドリーダーがありますが、「時間の余裕があるときに、まとまった量の英文を読むこと」の意義は、学力観や学習指導を通して目指すところが変わってくる中で、以前とは捉え方を変えるべきかもしれません。
そもそも、生徒の夏休みは、体験学習や課題研究/探究活動、大学訪問と様々なコンテンツやイベントが積み込まれる中で、「時間の余裕」があるものではなくなってきています。
また、英語に限りませんが、PISAなどに見るように読解力の定義も変わってきていますので、「じっくり読んで文章を味わう」だけの活動から、もう一歩踏み込んだもの(読んで理解したことをもとに行う思考/課題解決に繋がっていくもの)に改めていく必要もありそうです。
他に用意されている体験学習や探究活動との「重なり」の中に、英語や国語の学習(言語スキルを発揮し、高めていく活動)を置いて、生徒に与える課題を考えていく必要があるのではないでしょうか。
2017/07/05 公開の記事をアップデートしました。
❏ 探究活動を進める道具/手段科目として学ぶ英語
英語は、それ自体の学びを目的とする科目(目的科目)ではなく、他の教科の学習や探究活動などを進めていく上での手段としての科目(手段科目)としての意味合いをますます大きくしていくと思います。
総合的な学習が「探究色」をより強める新課程では、探究活動の中で、先行研究の文献調査や、研究成果のプレゼンテーションなどが行われますが、英語は(国語もですが)そこで使う道具です。使う場を用意してこそ、獲得した道具の価値/有為性もぐんと高まります。
探究活動を進める中で、英語を用いる機会を作れば、双方にプラスがもたらされ、生徒の学び全体への寄与は「物語を読む」といった英語学習に閉じたときより大きなものになりますし、言語活動にもより強い目的意識を持ち込めるのではないでしょうか。
プレゼンテーションの場を海外研修旅行での訪問先に置くケースも出てきていますし、校内で成果発表を行う場合でも、研究結果を英語で発表したり、サマリーを英語で書いて論文に添えたりするのも、今となってはもはや珍しい光景ではありません。
探究活動を進めながら、先行研究について調べたり、データを集めたりするときにも、英語で書かれたものをソースに加えれば、発表で用いる言い回しや語彙を学ぶ機会にもなり、プレゼンや論文作りの準備も同時に進められるはずです。
❏ 課題研究の文献検索がサイドリーダーに取って代わる
これまで、夏休みの宿題や平常期の課題では副読本を先生が指定して読ませているケースが多かったと思いますが、これからは「生徒が自分の研究課題に沿ったものを探して読む」という形に変わる必要があるかもしれません。
生徒の持ち時間は有限です。やらせたいことが増えても時間枠は増えませんから、何か新しいことをやろうと思ったら、優先順位を明確にした上で、これまでやっていたものを引っ込める必要があります。生徒に与える課題の取捨選択、スクラップ&ビルドということです。
サイドリーダーは、たとえどんな名作でも、面白いと思うかどうかは生徒次第。あまり興味もわかないものを読まされるより、他の目的が明らかなら、その達成により大きく寄与するものを選択するのは当然です。
個々の教科(ここでは英語ですが)の力を高めることは部分最適化と言えるかもしれませんが、学校が教育目標として掲げたことを達成すべく配列した特色ある教育活動(その中核に探究的な活動を置くケースも多いはず)が成果を結ぶのに貢献し得る学習活動や課題を用意することは全体の改善に貢献する、より価値の大きなことではないでしょうか。
❏ 英語や言語生活そのものを探究の対象にすることも
先に英語は「手段科目」と申し上げましたが、英語という言語そのものを探究の対象にすることもできます。
教科書や様々なテクストを読む中で、言語材料(個別の語彙、その上位にある品詞などの「文法概念」)、ディスコースマーカーやパラグラフ構造などを観察し、その背後で働いているメカニズムを考えてみるといった活動もあり得ます。
例えば、{動詞 + A of B}という構造/語順を取っている動詞を探していけば、この語順を取る動詞に共通する意味を抽出できるでしょうし、そこでの理解を踏まえれば、初めて見る動詞でも、およその意味を類推できるかもしれません。
英語の規則や語法の知識を深く知るにも好適な活動ですが、物事を注意深く観察し、データを集めて、合理的な分類を試みることは、探究的な学びで獲得を図る力を育む機会になると思います。
別稿「全教科でコミットすべき能力・資質の涵養」でも書いた通り、21世紀を生きるために必要な力を養うことには、すべての強化が積極的に関わるべきですが、如上の活動を日々の学びの中にも上手に配列できれば、学校全体の教育活動の成果はより大きくなるはずです。
なお、このような「単元学習」に近いものは、大村はまさんの実践(国語教育)にも見られます。『教えることの復権』には、生徒に教科書から「ことば」という言葉を余さず拾い集めさせ、分類を試みさせることで、その語の意味を深く考えさせた場面が紹介されています。
さらには、様々なスピーチを集めて、読み/聞き比べ、言葉が持つ「人を動かす説得力」がどう生まれるのか/どう生み出すのかを考えてみる活動なども用意できれば、探究活動を通じて探させる「社会との間で持つ接点」を見つけたときに必要となる力を育む機会にもなりそうです。
中学の国語における言語活動でもスピーチに挑んでいる生徒たちですから、そこで学んだことは、使用言語を英語に切り替えても活きるはずですし、活かす場を与えることが「学びとその成果を重ねるスパイラル」を用意してあげることにもなるはずです。
音声認識や自動翻訳の技術が飛躍的な進歩を遂げる中で、英語に限らず単に外国語を聞いたり話したりする能力は、個人が苦労して獲得する必要性のあるものでは徐々になくなってくるような気もします。別稿「多国籍化する社会での共生と協働」でも書いた通り、言語運用力以外の部分に大切なものが新たに生まれるのだと思います。
英語に限りませんが、教科固有の知識を学ぶ中で、生徒は「体系を支配するルールを見つけたり、学んだりする力」を養い、「それを他の場面に適用して課題を解決したり、新たな知を得たりする方法」 を学んでいるのだと思います。こうしたことを教える側が忘れないでいることが、生徒一人ひとりの学びの価値を大きくしていくのではないでしょうか。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一