"丁寧に教える"ことを取り違えていないか

先日、ある先生とのお話の中で、こんなご意見に触れました。
───丁寧に教えてあげれば生徒は理解できるので、自分がその科目をできると誤解してしまう。進路を選んだ後になってからその科目に適性がないことに気付いたのでは、本来なら入れたはずの大学にも進めなくなる。丁寧に教えることが必ずしもよいこととは限らず、適性のなさに早めに気づかせ、ほかの進路を考えさせることも大切だ。───
確かに適性のないところにしがみついても袋小路が待っているだけかもしれませんが、この「ご意見」には別のところに大きな見落としがあるような気がしてなりません。そもそも「丁寧に教える」とはどういうことなのか、改めて考えてみる必要がありそうです。

2018/01/15 公開の記事をアップデートしました。

❏ 考査と模試の成績乖離は、学ばせ方の問題かも

冒頭の先生の発言は、定期考査では頑張っているけど模試や実力テストの成績が伸びない生徒の姿を思い浮かべてのものでした。
一生懸命に教えて、生徒も先生の指示に従い真面目に取り組んでいるのに、模試の成績が伸び悩む生徒を目の前に、残された可能性として「科目への適性のなさ」に原因を求めてしまうのも心情的にはわかります。
しかしながら、丁寧に教えることに力を入れるあまり、本来は生徒自身が取り組みクリアすべき課題を先生が肩代わりしてしまった結果、初見の問題への対応力を生徒が身につけていない可能性はないでしょうか。
「丁寧に教える」というのは、生徒のうちに何ら疑問や不明が残らないように、一から十まで余さず教え切ることではありません。
解くべき問題を眼前にして生徒が辿っていくべき思考のプロセスをひとつひとつ、生徒自身にしっかり踏ませ(=体験させ)ていくことを指すのだと思います。

❏ 科目への適性の有無はくれぐれも慎重に判断

模試の成績が伸びず、定期考査の点数との乖離が大きいならば、科目への適性を生徒が持たないことを「理由」にする前に、それまでの学ばせ方に改めるべき点を見出すべきだと思います。
そもそも、ある科目について適性があるかないかはそう簡単には判断がつきません。アインシュタインも学校の数学は成績が悪かったとか。
ある時点でのパフォーマンスが、その生徒のポテンシャルを正しく示すわけでもありませんよね。モノサシが歪んでいた(=考査問題が学力を正しく測っていなかった)可能性だってあります。
センスや適性がないように見えても、実は、単にそれまでの悪い学び方でおかしな習慣を身につけてしまった結果に過ぎないかもしれません。
その科目を学び続けても展望はないと決めつける前に、先生ご自身の教え方/学ばせ方や、生徒自身の学びへの取り組み方を注意深く観察してそこに正すべき点がないか見極めていく必要があると思います。

❏ 丁寧に教えることは何かを取り違えない

授業中に提示された正解を覚える努力をすれば、定期考査ではある程度の点数は取れるでしょう。
でも、「記憶の再現」だけである程度の点数が取れることに慢心していては、自分の学び方がまずいことに気付く機会を生徒は持てません。
学んだことを、学んだときとは違う文脈や条件の下で使わせてみないと知識や理解が「生きて働くもの」になったか確かめられないはずです。
確かめるには、獲得した知識を、初見の問題を目の前において解法を考える段階から使わせてみる必要がありますが、そうした場面がきちんと作れているでしょうか。
先生が予め作って用意してきた「正解に至る手順」を丁寧に伝えて、生徒に不明が残らないようにすることを以て「丁寧に教える」ということにはなりません。
丁寧に教えるとはどういうことか、「正解ありき」で教えていないか、教える側でもう一度じっくりと考えてみる必要があると考えます。

❏ 間違った学び方を習慣化した生徒もいる

間違った学びを重ね、好ましくない学びの姿勢や習慣を身につけてしまった結果、成績が伸びないというケースでは、教え方/学ばせ方を改めさせることで、その科目の学習に新たな光明が差すこともあります。
小学校以来、先生から「しっかり教えて、覚えたかどうかを確かめることを繰り返す」という教え方をされ続けてきた生徒がいたとします。
習慣の中でそうした姿勢が固定してしまっているだけなのに、「自分で学べない、科目への適性やセンスがない」と判断されては、才能は開花することなく眠ったままです。
見通しを立てて解法を考える機会など思い出せないほど希薄だったり、宿題に取り組むにも一から十まで事細かに指示されて、やるべきことを自分で考える必要もなかったりしたことが、学習者としての自立を遅らせていただけのことだってあるかもしれません。
いずれも「丁寧に教える」ことを教える側が取り違えていたということではないでしょうか。学習者としての自立に導くために、生徒の取り組みをつぶさに観察し、必要な指導を慎重に選び出すことが本当の意味での「丁寧さ」だと思います。
ある科目へのセンスが生徒にあるとかないとか決めつけてしまう前に、指導者としてやるべきことが残っているのではないでしょうか。

❏ 消去法での進路選択が将来の可能性を狭める

確かに、伸びる見込みがあまりない科目を「切る」ことは、進路先を確保するだけなら効率的で有利かもしれませんが、進路の可能性を狭めてしまうリスクを同時に抱え込むことになります。
苦手に感じる科目があっても、粘って学び続けることは、「認知の網」を広く、穴が残らないようにしっかり編み上げるために大切です。

進路先を確保するのに効率を重視して不要な科目を切るという判断が、認知の網に大穴を残すことになっては、将来の重要な局面で偶然との出会いを拾えなくなるかもしれませんし、取り組んだ課題に解決策を完成させるための最後のピースを見つけられなくなるかもしれません。
進路希望によって知識や理解を拡充する範囲を変えたり、演習量や学習時間を調整することは必要でしょうが、どの科目も切らずに学び続けさせることは大切なことだと思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一

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