授業内活動を設計するときに、「この活動で狙っているものは何か」 を明確にしておくことが大切です。手段の合理性や妥当性は、目標に照らしてこそ評価ができるということを忘れないようにしたいものです。
昨日の記事では、
- 生徒の頭の中を覗く「観察の窓」を開くこと、
- 他の生徒の意見や考えに触れさせて相互啓発を働かせること
について考えました。
今日はその続きとして、
- 学習方策や知識の不足を生徒が相互に補完することと、
- 知識や経験を交換することでの発想の拡充を図ること
に焦点を当てて、考えるところをまとめてみたいと思います。
❏ ちょっとした隙間を作り、自助・互助に使わせる
ある問題を解こうとしたとき、一人で挑んでは、既習事項の理解や必要な知識が足りないこともありますし、解法を思いつけないこともあります。
スクール形式で座り、先生を要(かなめ)とする扇状のやり取りが続くだけでは、先生の説明が解らなければそれまでです。
知識や理解を補完する方法も機会もないということです。そのまま終業のチャイムを聞き、理解できていないまま正解を覚えなければならないとしたら、勉強はつらいだけの体験ですよね。
先生がコントロールした教室の中で、指示に従いテンポよくレスポンスを続けているように見えたとしても、如上の落とし穴がどこかに潜んでいるかもしれません。
自分で教科書を読んだり、問題を解いたりといった、個人のタスクに取り組ませる中に、周りに訊いてもかまわない時間帯を作ってみてはいかがでしょうか。
先生の話を聞くときと自分で何かをするときの区別は大切ですが、この2つの場面以外のちょっとした隙間が、生徒が自助・互助に使える時間ということになります。
生徒は無意識のうちに先生の期待に応えようとしますので、テンポよく進むだけの授業では、立ち止まって自分に必要なことをするのは生徒には戸惑いもあるはず。
そんなタイミングは教える側が作ってあげるべきだと思います。
❏ 知識や経験の持ち寄りで得られるものの大きさを知る
知識や経験を交換することでの発想の拡充を図るというのは、前段の「知識などの相互補完」 よりもう少し高次な活動ですよね。
企業や研究室で、ブレイクスルーを狙って行う話し合いと本質的には同じものだと思います。
人がそれぞれの専門領域で持っている「分散知識」 を持ち寄って集合知で未知の課題に挑む場面は、学校を出たあとは日常的に訪れるものでしょう。
世の中が高度化するにつれ、個人がひとりでカバーできる知の範囲が全体に占める割合はどんどん小さくなります。今こうしている間にも、すさまじいスピードで新しい知が生成されています。
そんな中、他人が持つ専門知識をどう利用するかを知ることは益々重要になるのは明らかでしょう。
教室での活動を通じて、
- 様々な人が知識や経験を持ち寄り、発想を交換することで、自分一人では突破できない壁を乗り越えることができる
- 他領域の専門知識を使ったり、先人が作り出した叡智を書物等を通じて手にしなければ、拓ける世界は広がらない
ということを、教室の内外で学ぶことができた後とその前とでは、高度な判断や難しい選択を迫られたときの行動・ふるまいは違ったものになるはずです。
・ジグソー法などでの協働学習
学ぶテーマを幾つかのサブテーマに切り分けて、それぞれを学習させ、その成果を持ち寄る「ジグソー法」 には、様々な効果や狙いがありますが、その中のひとつには、分散知識の活用についてその方法と意義を学ぶことが含まれるはずです。
・フィールドワークなどを通じた専門家との交流
課題研究やフィールドワークで郊外の専門家などと接点を持つことは、単に調べ学習を行っているのではありません。同じ対象を違う立場から扱っている複数の人/ソースに同時に触れれば、分散知識や集合知の意味合いをより深く知る機会になりそうです。
こうした意義を生徒にきちんと示しているかどうかによって、同じ学習活動(グループ学習、ジグソー、フィールドワーク)を経験しても、生徒の気づきや学びは大きく異なったものになると思います。
大前提として、教える側がこれらの意義をしっかりと踏まえておく必要があるのは言うまでもありません。
その3に続く。