この大会は「即興型英語ディベート」ですから、当然ながら「英語の使用」という点でも教える側に大切なメッセージを伝えてくれています。学んできたことが 「運用力」 に昇華するには、「使う場面」 が整えられる必要がある、ということです。
❏ 適切な使用場面が、学んできたことを統合する
ディベートの参加者たちは、さすがにトップ校の生徒ですが、それでも英語力には個人差もあります。しかしながら、誰もが、必死に且つ 「使わなければならない」 という意識を忘れているかのように、英語を使っていました。
チームに貢献しようとする気持ちや、論理を作ることに集中するなかで、意識的に学んできたことを意識の脇に置いて使っているのでしょう。普段の英語の授業内で用意されるアクティビティとは、まったく違った心理状態にあるようです。
言語活動を自己目的化するのではなく、別の目的に対して手段として英語を使う必要が、こうした心理状態を作ります。
相手チームの発言(当然、英語)にも真剣に耳を傾けざるを得ません。聞き漏らしたら論理的に切り返すことなどできませんから。話すことにも、聞くことにも、必要に迫られるなかで、全力で取り組むことになります。
参加した4校はいずれも劣らぬトップ校です。文法や語彙などは相当なレベルまで、普段の授業の中で身につけています。担当の先生によれば、それでも、英語ディベートを経験する前は、高1生が中心というこもあり、「英語が口をついて出てくる」 という状態ではなかったようです。
「ラウンドが進むたびに上達していく様子には目を見張るものがあった」 とは一部始終をご覧になっていた、ある先生のご感想です。
それまで教室内外で学んできたことが、「使う機会」、しかも夢中になって使う機会を得たことで統合された、と考えられます。頭の中に静的に蓄積された言語の知識が、外部からの刺激により結びついて、言語運用力に形を変えたのだと思います。
❏ 活動や課題解決を軸に、教科の学びはその手段として
2020年に予想されている大学入試の変容や、21世紀型学力といった外からの要請を受けて、英語に限らず学校で学ぶすべての教科は、その立ち位置を変えようとしているように感じます。
それぞれの教科は、独立してそれぞれの目的を持つのではなく、課題解決力(探究力、協働力、コミュニケーション力など)を獲得するための一部(=手段)というポジションを得るのではないでしょうか。
もともと、学びは一つの総体であり、学校教育というシステム上の便宜のために、教科・科目に分割されたものです。各パーツがいつの間にか独立してしまい、それぞれの目的を持つかのようになってしまったとは考えられないでしょうか。
もしそうであるなら、課題解決体験を趣旨とする諸活動を教育課程の軸に置き、それとの関わりの中で各教科・科目の指導目標を設定していくのが、当然、ということになりそうです。
教科学習指導は、それぞれの教科・科目の中で、進められていきますが、互いの関連を知り、境界に新しい知見を生み出していくためには、今一度、各教科の学びを相互を結びつけるような設計を考えることが必要だと思います。
今回取り上げたディベートに限らず、探究活動やフィールドワーク、研究論文、あるいはホームプロジェクトなどを中核に、各教科の位置づけや進め方を考えることが、これからますます必要になるのではないでしょうか。