先日の新聞に、変わる、定期テスト ノート持ち込みOK・単元テストに変更 大学入試改革にらむ(朝日新聞2019年11月27朝刊)という記事が掲載されていました。記事には、生徒と先生の双方で起きた変化がそれぞれの立場からの発言を引用して次のように書かれています。
生徒の発言:
「最初はイヤだなと思った。勉強しても差がつかなくなるから」と勉強熱心な3年女子。でも問題が増えて難易度も上がり、ノートを要領よくまとめないと探すうちに時間切れとなる。結果的に「毎日ノートに整理するようになって、頭の中がスッキリした」と話す。先生の発言:
生徒以上に試されるのは教員だ。ノートを見ただけでは解けない問題にするため、批評しあって練り直す。「どんな問題を出すか考えることで、日ごろの授業改善につながっている」と原結花教諭。答えがひとつとは限らないから採点も大変だ。
定期テストの見直しを図る学校が幾つか現れてきました。テスト直前の詰め込み勉強への偏りを改めて学び続ける力を育むという意図から生まれた取り組みです。
目指すべき学力像が変わった以上、評価の仕組みやその中心となってきた定期考査のあり方には、ドラスティックな発想の転換をもって臨んでいくべきだと思います。
❏ 道具の使い方を含めての課題解決力
学校で行われるテストは、通常、頭の中にあるもの(知識など)だけを使って課題を解決する力を見ますが、日々の生活の中での課題解決にはそのような制約はありませんよね。
頭の中にある知識も、その場で外部を参照して獲得した知識も同じように使いますし、データを検証するのに紙と鉛筆で延々と計算を続ける姿も見たこともありません。プレゼンだって、手書きの報告書を目にすることもとんとなくなりました。
例えば、二人の生徒(以下のA君とB君)がいたとします。これまでのテストでは明らかにA君の方が好成績ですが、学習能力や実際の場面での課題解決力においてB君がA君より劣るとは言えないと思います。
A君 | B君 | |
---|---|---|
道具も資料もまったく頼らずに、実力で60点の答えを作れる | 道具や資料が一切使えない状態では40点の答えを作るのが精一杯 | |
辞書と参考書を使って良い条件下であれば70点の答えが作れる | 辞書と参考書が使えるようになったら55点までキャッチアップ | |
パソコンとインターネットも使ったときは80点の答えを仕上げた | スマホのアプリをやけに上手に使いこなして80点の答えを作った |
道具を使いこなす力も含めたすべてを合わせて「課題を解決する力」であり、そう考えてみると一切の道具を封印してテストに回答させることにはどこか不合理なものを感じます。
❏ 道具を整え、使いこなすことを目指した日々の学習
高大接続改革では学習型問題が登場するようになります。既に持っていた知識の量や、それらを使ってどれだけの問いに正解を導けるかではなく、「その場で読んでどこまで理解し考えられるか」が試されます。
新テストの試行問題では、ある課題に解決策を考えるのにどんなデータに当たれば良いかを訊く問題もありました。目の前の課題に対してどんな情報を集めて判断材料とすべきかを問うています。
こうした変化を踏まえてみると、道具(教科書やノート、辞書類や参考書、タブレットやスマホ)を使いながら思考力を最大限に発揮したときのパフォーマンスを測定する機会はもっと増えて良いでしょうし、その場が定期考査であっても問題はないように思います。
もしそうなれば、どんな道具を用意して持ち込むかも戦略の一つになりますよね。ただ持ち込んだだけでは使いこなせませんので、日々の学習の中で積極的に道具を整え、使い方に習熟する必要もあるでしょう。
ノートにしても、コピペで情報量だけ増やしても、どこに何があるかわかりませんし、その内容を理解しておかなければ、どれだけ情報があってもその場で使いこなせるものではありません。
予めしっかりと調べ物をして、しっかり理解した上でノートにきちんとまとめておくことが必勝の策であることを学習した生徒は、日々の学びにも正しい姿勢を身につけることになるのではないでしょうか。
❏ 答えを作るのに制限時間を設けることにも不自然さ
日常生活でも社会生活でも、課題解決に50分といった厳密な時間制限が掛かることはあまり多くないはずです。時間をやりくりして期限までに答えを仕上げられたらOKであるのが普通でしょう。
それまで仕事が停滞していて期限ぎりぎりになってしまったり、突発的なことが起きて急な対応が必要になることもありますが、事前に予定を組んで計画的に物事を進めていけるケースの方が多いはずですし、そうした段取りの力も獲得が求められるものの一つです。
話を定期考査の場面に戻しますが、テスト問題に掲載されている資料を読んだり、持ち込んだ道具を使って調べている途中で、直接的に問われているのとは違う疑問を抱きその解消に手間取ってしまい、結果的に時間切れで30点の答案しか書けなかったC君がいたとしましょう。
当然ながら、テストの成績は先のA君、B君よりもはるかに下ですが、途中で浮かんだ疑問にテストが終わってからもじっくり向き合い続けて学びを深めたとしたら、その行動は高く評価すべきですし、将来有望な感じもしませんか?
制限時間内で作り上げた答えの先には、本来ならば、さらに広く深い学びもあるはずです。答案を提出して採点してもらったらそこで終わり、というのでは学びの姿勢に何か足りないものがありそうです。
現実的には、これまでに行われてきたような内容と方法での定期考査をすぐに撤廃というのでは、様々な問題(評価の公平性なども含めて)がありますが、「これまで通りのテストで本当に問題はないのか」という疑問は常に持ち、好ましい形を模索し続けていくべきだと考えます。
教科学習指導の目標は、知識・理解や技能の獲得だけではありません。学習方策やファクトフルネスの獲得も目指すところです。それらも併せて定期考査で多面的に評価できる仕組みとして、「ノートやタブレットの持ち込みOKの定期考査」には一定の可能性があるように思います。
■関連記事:
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一