授業における学習者の活動性を高めることは目的ではなく、別の目的を達成するための手段です。個々の活動によって目指しているものをきちんと区別しておけば、その活動が妥当なものか工夫の余地が残っていないか判断がつきやすくなるのではないでしょうか。
一昨日に公開した「生徒がみな一斉に反応できていることに感じた違和感」 から続くシリーズです。
活動とかアクティビティという言葉でひとくくりにするから、根っこの問題が見えなくなるような気がします。
生徒が眠そうなのでちょっと体を動かさせようとか、ここらへんでちょっと教室を盛り上げておこうとかではありませんよね。
狙っているものを思いつくまま挙げてみるとこんなところでしょうか。
- 生徒の頭の中を覗く「観察の窓」を開く
- 他の生徒の意見や考えに触れさせて相互啓発を働かせる
- 学習方策や知識の不足を生徒が相互に補完する
- 知識や経験を交換することでの発想の拡充を図る
- 活動課題に取り組む中で使用機会を自然に増やし習熟を促す
- 生徒一人ひとりに役割を持たせることで能動的に関わらせる
それぞれについて、順番に考えていきたいと思います。
❏ 観察が足りなければ、活動させた意味は半減する
生徒が考えたことを言葉にさせたり文字に起こさせたりすれば、生徒の頭の中で起きていることを観察できます。
真面目な表情で先生の話を聞いているようでも、あらぬ誤解をしているかもしれませんし、全く違うことを考えていることがあります。
大昔ですが、教室で眉間にしわを寄せている生徒がいて、「どうした?質問ある?」 と尋ねたら「先生、腹減った」 と答えが返り、ずっこけたこともあります。
■ 活動させるのは観察のため
活動させているときに、先生が教卓で次のアクティビティの準備に気を取られ、生徒の手元をのぞき込んだり、話し合いに聞き耳を立てていないのでは、せっかく開いた「観察の窓」 も使われずに終わっています。
また、私物が通路をふさぎ、机間指導ができない状態で授業を進めているということは、3列目以降の生徒を観察することは想定していないのでしょうか。
観察しないことには、次の一手を考えられません。
予め計画しておいた進め方でよいのか、飛ばして先に行けないか、後戻りする必要はないかなどの判断は、生徒の頭の中を覗き込んではじめて可能になるのではないでしょうか。
指名して発言させるという方法がある、との反論もあろうかと思いますが、一度に指名できるのは一人だけ。
ほかの39人は黙ってやり取りが終わるのを待つので、その間、生徒の活動が止まっていることになります。
全体の活動性を下げないようにすることも大切にしたいことですよね。
■ 生徒を指名して発言させるとき
❏ 異なる意見や考えに触れて相対化&相互啓発
自分と異なる意見や考えに触れてそれを取り込むことは、思考の及ぶ範囲を広げ、見落としを気づくことで自分の考えを完成に近づけていくために欠かせないことです。
他の生徒の発表や発言に触れて、もっと頑張ろうとか、次こそは自分も必ずと、刺激を受けることもあるでしょう。
ワイワイガヤガヤと教室が盛り上がるのは結構ですが、生徒が自分から発信することばかりに意識を取られていては、周りからの刺激を十分に受け取ることができません。
グループワークが終わって、各グループの代表者が発表しているときの他グループの生徒の行動を見ると、それまでの指導に大きな違いがあったことが窺えることがあります。
漫然と聞いているだけだったり、きちんと聞かずに自分たちの順番に備えて準備に夢中だったり、発表が終わると「やれやれ」 と言わんばかりに休憩モードに入る生徒もいます。
この教室では、他者の意見に触れて自分(たち)の考えや主張を相対化することの大切さを、これまでに十分学べていないことが窺えます。
他方、探究発表会を見に行って、発表後に鋭い質疑が飛び交う学校もあります。おそらくは、発表という活動に込めた意味を指導に当たる先生がしっかりと認識しておられるからでしょう。
普段の授業でも、生徒を指名して発言させたとき、優れた発想や思考が含まれていたとき、「良い意見だね」で済ませてはもったいない。
他の生徒に「今の意見をもう一度説明してみてください」 とふってみたり、「今のアプローチ、どう思う」 と尋ねてみたりしても良いかと思います。
また、ひと通りの発表が終わった後で、自分(たち)の意見を再構成させたりする場面を、指導の中に組み込んでみるだけでも、他の生徒の発表・発言を聞くときの態度や傾聴の姿勢は大きく違ってくるのではないでしょうか。
■ 探究活動や課題研究と成果発表会
その2に続く