この数年、高校に限らず機会があれば小中学校の授業も参観させていただいています。素晴らしい実践、実に様々な工夫を拝見して、大いに刺激されます。生徒や児童の活動性を高める工夫が随所に凝らされ、「おおっ、こんな方法もあるのか」と勉強になります。
しかし、小中のみならず高校も含めた話ですが、授業内活動の充実を図ったことの成果が、どこに繋がっているかに注目してみると、ちょっと立ち止まって冷静に考えてみる必要を感じることも少なくありません。
特に気になるのは、生徒・児童が、なんのためらいもなく先生からの指示に実に見事に反応していることです。何を言っているのか、怪訝に思われるかもしれませんが、拙稿にお付き合いをいただければ幸甚です。
❏ 授業中の「学習者の活動量」は格段に高まっているが…
指導改善を目的に研究を続けてこられた学校での成果発表会を狙って見に行っているだけに、参観させていただいた授業はいずれも、授業時間中に生徒の集中が切れることもなく非常に高い活動性がキープされていました。
知識伝達に終始する授業は、過去のものになりつつあると改めて感じます。生徒が寝ていたり、ただ時間が過ぎるのを待っている授業とは大違いです。
しかしながら、目指すべきは活動性の高さではなく、学びの成果。始業前の状態と終業時の状態を比べたときに「生徒一人ひとりが新たにできるようになったのは何?」という問いに明確な答えを示せる授業かどうか、常に意識のトップに置いて授業を行う必要があると考えます。
❏ 全員が揃ってきれいに反応できることには違和感も
特に、小学校や中学校の授業を覗いてみると、先生からのキュー出しに生徒がみんな元気いっぱいに反応している姿を目にします。
でも、学ぶことに対する意欲やレディネスに違いがあるはずの、多様な生徒が混在する教室で、全員がきれいに揃って反応できるということには、ちょっと違和感を覚えます。
学習が進んでいる生徒や理解が早い生徒は、能力の大半を使わずに済んでしまっているかもしれないし、遅い生徒はほかの生徒の動きをコピーしているだけかもしれません。
❏ 最初からタスクをこなせていた生徒の成長はどこに?
気になって何人かに注目して観察を続けてみました。
最初から指示に的確に反応して適切に反応できていた生徒は、途中でタスクが変わっても同じようにスムーズに活動できています。
躓いて、自分で課題を設定し直して、トライを経て克服していくという様子が見える生徒も大勢いますが、最も高いパフォーマンスを示している生徒たちには、そのような変化は見られません。
最初から最後まで、余裕をもってタスクをこなしているだけのように見えます。悩む様子やハッと気づいたときの喜びの表情は見て取ることができませんでした。(私の観察が拙いせいかもしれませんが)
❏ 戸惑いを、周囲のコピーと反復でクリアした生徒も
一方、スタート時点で、何をやっていいか戸惑いながら、周りに行動を合わせているだけだった子どももいます。
その子たちの大半は、同じタスクの終わりかけの方では、繰り返したことの成果か、周囲の行動に同化するところまでは到達しますが、次のタスクに移った瞬間にスタート時点の状態に戻っているように見受けられます。
繰り返しの中で「習熟」は図られているのは確かなようですが、コピー元がない時に自分で行動を起こせるかと言えば、少なからず不安も残ります。
❏ 振り返りも形骸化していないか?
ある授業では、リフレクションシートを使用して、ウォーミングアップが終わった段階で学習目標や「めあて」を書かせ、終了時には振り返りの時間も取っていましたが、子どもたちが書き込むことは通り一遍。
邪推かもしれませんが、あたかも「こう書いておけば先生はほめてくれる」という子供なりの戦略が透けて見えなくもありません。
手元をのぞき込んでみると、こちらが見ていて感じたその子の課題とはほど遠いことが書かれています。ちなみに前回のプリントを見せてもらったら、やっぱりズレています。
振り返りを通じて正しく課題形成をできるようにしていくには、教える側からの働きかけや、生徒・児童同士の相互啓発などが必要なのだと思います。
いくども繰り返すうちに、本人が気づく機会を先生は辛抱づよく待っておられるのだと思いましたが、もう少し効果的な働きかけもあり得るのではないかとの思いも抱きました。
❏ これらの問題点にどう対処していくべきか
授業参観を通じて感じたこれらの違和感・問題点に対して、どんな解決策が取り得るのか、簡単には答えが導けません。
でも、授業を見せていただいたことで、解決すべき問題がどの辺にあるのか、その当たりを付けることはできました。これからまた勉強です。
これまでに考えてきた事柄と結び付けながら、考察と現場からの学びを重ねて、少しずつでももつれをほどいていきたいと思います。
活動性と学びの成果を繋ぐ鍵~課題を通じた目標理解に続く。
研究会の開催や授業公開の実施には、現場の先生方に大変なご負担もあろうかと思いますが、優れた実践を広く伝え、参観する側が考えを深めたり広げたりする機会として、その価値はとても大きいと改めて感じています。
小中学校で、子どもたちがどんな学びを経験しているかは、高校での指導を設計するときにもしっかり踏まえておなければならないとの感想を参観のたびに抱きます。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一