ネットで検索した結果を鵜呑みにさせない

今や、世の中の大抵のことは、スマホで検索すれば即座に「それらしい情報」に行き当たり、「答えらしきもの」が簡単に得られます。
たいへん便利な社会ですが、ネットに限らず世に飛び交う情報はまさに玉石混交。ときに悪意のフェイクすら入り混じります。鵜呑みにしては選択を誤り、不要なリスクを引き寄せることになります。
先ずは耳目に入ってくる情報の真偽を確かめる必要がありますが、その姿勢と方法を学ばせる場もまた、生徒が日々を過ごす教室です。

❏ 検索すれば済むとの思い込みには落とし穴

生徒/学生がネットで情報検索するのを見ていると、画面をスクロールする速さに驚かされますが、読解が速いというより、要るもの/探そうとしているものと、それ以外を「字面で振り分けて」いるだけかも。
情報を集めて知に編む(=理解する)前に、「結論」が頭の中にあり、それと合致しそうな文字列を探しているだけの「検索」では、知らなかったことの解明や視座の拡張など図りようがありません。すでに持っていた考え/バイアスを強化するだけの結果になりがちでしょう。
ネットの利用時にはエコーチェンバーの中に置かれ、フィルターバブルが好みと異なる方向の情報を遮断していることを考えれば、「ネットで触れた情報はまず疑ってみる」のが正解のはずですが、速すぎる検索には、そうした「思考」は介在していないように思えます。
PISAが測定する「読解力」には「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」が含まれますが、ネットで情報を集めるときにも、そうした能力と姿勢は十分に発揮される必要があるはずです。

❏ ネットの使い方も、日々の学びの中で獲得する能力次第

インターネットの安心安全な使い方を学ばせる機会はあちらこちらにありますが、その土台となる「読解力」や「問題を見つける力」は、情報に限らずあらゆる教科の授業の中で獲得させていくべきものです。
如上の「エコーチェンバー」「フィルターバブル」といった言葉は、以下のような小学生向けの情報教育コンテンツにも出てきますが、言葉を知ったところで土台になる能力(読解力や問題発見力)を欠けば、具体的に正しい行動を起こせる保証はどこにもありません。

情報通信白書forKids


すべての教科の学習の中で、「問いを立てながら、情報を集めて知に編む姿勢と方法」を学び、意識下でも十分にできるようになっていれば、如上のスクロールがどれほど速くても問題はありませんが、その前提が成立しているかは、ときどき確かめてみる必要があるはずです。
授業中にネットで何かを調べさせるたびに「どうしてそう言えるのか」「他の捉え方はなかったか」「同じ結論になるための前提条件は何か」といった問いを重ねることで、トレーニングと評価を行いましょう。

先生の問いを真似るところから始めて、生徒が自力で問いを立てられるようになったら、指導は一定の成果を得たことになりそうです。

❏ 集めた情報を構造化する方法、背景意図を読み解く力

インターネットを使った検索は、膨大な情報を簡単に集められますが、それらを正しく活かすには、情報を構造化したり、背景意図を読み取ったりする方法や力が求められます。
あちらこちらのソース(サイト)から集めた情報を、分類したり、対比したりできなければ、矛盾を見つけることも、根っこで共有されている価値(納得解の土台)などを見つけ出すこともできないはずです。
別稿でも書いたことですが、日々の授業で「情報の整理・構造化のやり方を板書で学ばせる」ことにも十分な意識を向けましょう。
主張や意見を含む文章を読むときには「どんな背景を持つ人が、どういう意図で書いているか」を捉えることが大切ですが、「筆者は〇〇という意見に対してどう反応するか」といった問いが日々の教室に飛び交っていれば、そうした捉え方/読み方も発達すると思います。
また、一つの文章や資料を熟読しても「矛盾を見つけて対処する力」を養う機会は持ちにくいもの。「複数の資料を与え/探させて、比較させる」といった活動も必要です。cf. 複数テクストの比較で試す「読解力」
生成AIは、こうした作業(思考)をある程度まで肩代わりしてくれそうですが、そのアシストを効果的に活用できるかどうかも「問いを立てる力/質問する力」次第であるのは、別稿でも申し上げた通りです。
問いを立てさせる質問を作らせるといった活動にどれだけ意識的に取り組ませているかで、そうした力の獲得に大きな違いが生じます。言葉足らずの(=客体化と言語化ができていない)質問に「意を汲んで先回りして答えてあげる」のも、能力の獲得にブレーキを掛けそうです。

❏ 正しい検索=広範な背景知識+問いを立てる力

インターネット上で検索すれば、様々な情報が得られるとの考えもありますが、知識が決定的に不足している領域では検索ウインドウに入力する文字列を適切に思い浮かべることもできません。
背景知識の違いで、立てられる問いは異なる以上、十分な背景知識(≒一定の広さと密度を備えた認知の網)がなければ、生成AIに入力するプロンプトも適切なものにはならないはずです。

関心のないものは、視野に入っても意識に入らないのと同様に、情報の検索もできていないということでしょう。ネットで検索しても、必要な情報を集めて新たな知に編むことも、それまでの考えを修正する/誤りを正すこともできず、思い込みを強化するだけかもしれません。
デジタル化の時代に逆行しますが、昔ながらの「新聞のすべてのページに目を通し、見出しだけでも追いかける」という習慣を持つことには大切だと感じます。新聞だけでは深い知識は得られないとしても、その入り口を見つける準備にはなるはずです。
さらに、見出しに興味を持てた記事を熟読した(=問いを立ててより深く考えた)結果を言語化させれば、新たな見方も獲得も進みそうです。

教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一