授業内での生徒の活動というと生徒同士の話し合いが真っ先に思い浮かびますが、それだけではありません。前稿で取り上げた、知識の定着を図る「既習内容の重ね塗り」や、理解を整理し深めたりする「概念のモデル化/言語化」といった活動なども、学びには欠かせません。
当然ながら、知識を獲得する場面でも、本文や資料を読んで理解する/情報をピックアップする場面でも、先生が先回りして教えてしまうのではなく、学習者自身が取り組む活動を優先するべきです。
大切なことは、学習者に任せられる部分を教える側が取り上げてしまわない、つまり「できることはどんどんやらせる~生徒の邪魔をしない」ことです。教師が肩代わりする場面が増えるほど、学習者はより受動的で依存的になっていくのは想像に難くないはずです。
2015/01/22 公開の記事を再アップデートしました。
❏ ターゲット設問を与え、自力で本文や説明を読ませる
問題文や資料を読み、自力でその内容を理解し、それを土台に与えられた問いに答えを導く力は、生活のあらゆる場面で欠かせないものです。高大接続改革以降の入試でも頻繁に試されるようになりました。
先ずは、教科書をきちんと読ませることに教える側が日々の授業の中でしっかりと意識を向けておかないと、如上の力を養う機会を逸します。
読んで理解したことをもとに考える力を育むには、「書かれたことに基づいて答えを導き出すべき問い」が与えられていなければなりません。
問いに答えようとする中にこそ、文字を介した作者や先人との対話が始まり、より深い理解や考察、内省が生まれるのは、拙稿「学びにおけるインプット(input)とインテイク(intake)」にも書いた通りです。
日々の授業で、新出単元を学ばせるとき、きちんと生徒に教科書や資料を読ませているか、読ませる前に問いを与えているかによって、3年間/6年間の学びの成果は大きく変わってしまいます。
❏ 項目間の関係を捉え、全体を構造づけて理解できるか
以下は、大学入試センター試験で出題されたもの(古くてすみません)です。本文を読み、各段落に書かれていることが全体の流れの中でどんな位置づけになるかを考えさせることを意図した設問です。
このような問題がわざわざ課されたのは、高校を出て大学に入学してきた中に「センテンス単位で字義的な意味は取れても、全体の流れや構造を把握するのが苦手」な者が多かったという事情/問題からでしょう。
高大接続改革では、入試を変えることで、高校までの学びに変革をもたらし、足りなかった部分の充実を図らせようというのが趣旨であり、こうした出題もその先駆けのようなものだったと思います。
出題(2015年)から10年が経過しましたが、このような問題をわざわざ課す必要がないほど状況が好転したわけではなさそうです。今もなお、母語で書かれた文章(資料)を読ませても、段落の内容は理解できても、段落間の関係を的確に把握できない生徒が少なくありません。
❏ 日々の学びの中で、評価しながら鍛える必要がある
地歴公民や理科の教科書を読ませ、単元を通した流れや全体像を構造図にまとめさせるというタスクを課したら、どのくらいの生徒がきちんとした形にできるでしょうか。
普段の授業から、書かれている事柄を分解し、改めて構造化/モデル化する工程を先生がずっと肩代わりしていたら、生徒は如上のタスクで求められる力を獲得できていない可能性が高そうです。
前掲のセンター試験の出題例も、先生が説明しながら空所を埋めていくというのは「学ばせ方の正解」から最も遠いアプローチだと思います。
本文の読みに入る前の導入で、「読み終えたら空所を埋めてもらう」というゴールと如上のフレームを示した後は、生徒自身に考えさせ、必要なら話し合いをさせて、自力で表組を完成させていきましょう。生徒が踏むべき思考を、先回り/肩代わりしないことが大切です。
生徒の学力によっては、選択肢の一部(または全部)を隠しておくのも好適です。日常の「読む」という活動で、選択肢が与えられることはなく、選択肢があることで不自然な読み方を強いているかもしれません。
日々の授業の中で、センテンス間の関係性やパラグラフ間の構造に着目させていれば、IntroductionやEvidencesといった「用語/メタ言語」にも頻繁に触れているはずですので、あれこれ説明は不要でしょう。
生徒自身が頭の中の既習内容/知識をスキャンする必要を与えた方が、定着にも使い方への習熟にも有利に働きますし、「学んだことを生きて働かせる機会」を通じて、その意味をより深く知ることにもなります。
❏ タスクがチャレンジングに過ぎるなら、踊り場を作る
如上のタスクが新しい時代が求める学力を養うのに不可欠と言っても、いきなり生徒に与えてチャレンジを求めてもそう簡単には行きません。最初から簡単にできるくらいならトレーニングの必要もないはずです。
一人で(=周囲との支え合いなしに)課題に挑ませ、失敗体験だけを重ねさせたり、できていない生徒を指名して、出来なかったことをクラスに晒したりしては、学びへの自己効力感を失わせるばかりです。
最初のうちは、一人ひとりが考えたことをグループで持ち寄って正解を考えさせるのが良さそうです。個々のスキルや知識では対応できなくても、集合知を活用すれば解決の可能性が高まります。
互いに教え合ったり、意見の対立に折り合いをつけたりする中で、コミュニケーションやチームワーク、協働の楽しさなども学んでいけます。
互いに智恵を持ち寄ってもなお、ハードルが高すぎるなら、工程を分割して適切に(=過剰にならないように)ガイドしていきましょう。
ちなみに、工程の分割(スモールステップ化)は、具体的な「手順の指示」よりも、それに気づかせる「問い掛け」で行うのが好適です。
生徒が慣れてきたら、グループでのチャレンジから、困ったときは周囲と相談して良いという緩やかな相互支援の段階を経て、最終的には個人のタスクにシフトしましょう。試験会場では周りと相談できません。
こうした場面での指導でも「習慣化」は重要です。自力で読んで理解すること/理解したことを構造化することが求められるのが「日常」になれば、生徒はどんなものを読むときも、部分理解でOKとせず、全体の流れはどうなっているか、この部分は全体の中でどういう位置づけかを考えるようになっていきます。
メモを起こし、構造をイメージしながら、書かれているものを理解していけるようなるには、こうした「活動」を配列した指導が必要です。
その3に続く
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一