ノート持ち込み可の定期考査がもたらすもの

この記事を最初に公開した2日前、朝日新聞に「変わる、定期テスト ノート持ち込みOK・単元テストに変更~大学入試改革にらむ」という記事が掲載されました。
この記事は現在閲覧できませんが、約一年後には日経新聞でも「変わる定期テスト 主体的に学ぶ力引き出す」という記事が「ノート持ち込み可、思考力を問う/単元ごとに切り替え、脱一夜漬け」との副題を添えて掲載されていました。

冒頭の記事には、「ノートの持ち込み」により生徒と先生の双方で起きた変化が、それぞれの発言を引用して、次のように書かれていました。

生徒の発言:
「最初はイヤだなと思った。勉強しても差がつかなくなるから」と勉強熱心な3年女子。でも問題が増えて難易度も上がり、ノートを要領よくまとめないと探すうちに時間切れとなる。結果的に「毎日ノートに整理するようになって、頭の中がスッキリした」と話す。
先生の発言:
生徒以上に試されるのは教員だ。ノートを見ただけでは解けない問題にするため、批評しあって練り直す。「どんな問題を出すか考えることで、日ごろの授業改善につながっている」と原結花教諭。答えがひとつとは限らないから採点も大変だ。

当時は、新課程(今となっては「現行課程」)に切り替わろうというタイミング。テスト直前の詰め込み勉強への偏りを改めて、学び続ける力を育むという意図から生まれた取り組みは各地で見られました。
目指すべき学力像が変わった以上、評価の仕組みやその中心となってきた定期考査のあり方には、ドラスティックな発想の転換をもって臨むべきだと、当時のブログに書きましたが、あれから6年近く。当時の意欲的な取り組みが、その後あまり広がりを見せなかったのは残念です。

❏ 道具の使い方を含めての課題解決力

学校で行われるテストは、通常、頭の中にあるもの(知識など)だけを使って課題を解決する力を見ますが、日々の生活の中での課題解決にはそのような制約はありません。
ネット上の膨大な情報から必要なものを拾い、信頼性を評価して、解決に必要な知を編んだり、AIとの対話の中で思考を深めたりしながら、目指すゴールに近づいて行くのが「普通の形」でしょう。
頭の中にある知識も、その場で外部を参照して獲得した知識も同じように使いますし、データを検証するのに紙と鉛筆で延々と計算を続ける姿も見たこともありません。プレゼンだって、手書きの報告書を目にすることもとんとなくなりました。
例えば、二人の生徒(以下のA君とB君)がいたとします。これまでのテストでは明らかにA君の方が好成績ですが、学習能力や実際の場面での課題解決力において、B君がA君より劣るとは言えないと思います。

A君 B君
道具も資料もまったく頼らず実力で60点の答えを作れる道具や資料が一切使えないと40点の答案を作るのが精一杯
辞書と参考書を使って良い条件なら70点の答えが作れる辞書と参考書が使える条件では55点までキャッチアップ
パソコンとインターネットも使って80点の答えを書き上げたスマホのアプリを上手に使いこなして80点の答えを作った

道具を使いこなす力も含めたすべてを合わせて「課題を解決する力」であり、そう考えてみると一切の道具を封印してテストに回答させることには、不合理さえ感じなくもありません。

❏ 道具を整え、使いこなすことを目指した日々の学習

高大接続改革以降、学習型問題を頻繁に見かけます。既に持っていた知識の量や、それらを使ってどれだけの問いに正解できるかではなく、所与の資料をその場で読んでどこまで理解し考えられるかが試されます。
ある課題に解決策を考えるのにどんなデータに当たれば良いかを訊く問題も、すでにレアなものではありません。目の前の課題に対して、どんな情報を集めて判断材料とすべきかを問うています。
こうした変化を踏まえてみると、道具(教科書やノート、辞書類や参考書、タブレットやスマホ)を使いながら思考力を最大限に発揮したときのパフォーマンスを測定する機会はもっと増えて良いでしょうし、その場が定期考査であっても問題はないように思います。
もしそうなれば、どんな道具を用意して持ち込むかも戦略の一つになります。ただ持ち込んだだけでは使いこなせませんので、日々の学習の中で積極的に道具を整え、使い方に習熟する必要もあるでしょう。

ノートにしても、コピペで情報量だけ増やしても、どこに何があるかわかりませんし、その内容を理解しておかなければ、どれだけ情報があってもその場で使いこなせるものではありません。
予めしっかりと調べ物をして、十分に理解・整理した上でノートにきちんとまとめておくことが必勝の策であることを学習した生徒は、日々の学びにも正しい姿勢を身につけることになるのではないでしょうか。

❏ 答えを作るのに制限時間を設ける必要があるか?

日常生活でも社会生活でも、課題解決に50分といった厳密な時間制限が掛かることはあまり多くないはずです。時間をやりくりして期限までに答えを仕上げられたらOKであるのが普通でしょう。
それまで仕事が停滞していて期限ぎりぎりになってしまったり、突発的なことが起きて急な対応が必要になることもありますが、事前に予定を組んで計画的に物事を進めていけるケースの方が多いはずですし、そうした段取りの力も獲得が求められるものの一つです。
話を定期考査の場面に戻しますが、テスト問題に掲載されている資料を読んだり、持ち込んだ道具を使って調べている途中で、直接的に問われているのとは違う疑問を抱きその解消に手間取ってしまい、結果的に時間切れで30点の答案しか書けなかったC君がいたとしましょう。
当然ながら、テストの成績は先のA君、B君よりもはるかに下ですが、途中で浮かんだ疑問にテストが終わってからもじっくり向き合い続けて学びを深めたとしたら、その行動は高く評価すべきですし、将来有望な感じもしませんか?
制限時間内で作り上げた答えの先には、本来ならば、さらに広く深い学びもあるはずです。答案を提出して採点してもらったらそこで終わり、というのでは学びの姿勢に何か足りないものがありそうです。
評価の公平性という点では、「同一条件下」が力を試すときに外せない要件であり、決められた試験時間内で出力できたもので評価を行うことにも十分な合理性がありますが、一切の制限を外したときも「別の同一条件」です。そこでのパフォーマンスにも着目すべきでしょう。
制限時間の有無による二つの評価を往還することで、学びの姿勢や力をより多面的に捉えることができるのではないでしょうか。



現実的には、これまでに行われてきたような内容と方法での定期考査をすぐに撤廃というのでは、様々な問題(評価の公平性も含めて)がありますが、「これまで通りのテストで本当に問題はないのか」という疑問は今後も常に持ち、好ましい形を模索し続けていくべきだと考えます。
教科学習指導の目標は、知識・理解や技能の獲得だけではありません。学習方策やファクトフルネスの獲得も目指すところです。それらも併せて定期考査で多面的に評価できる仕組みとして、「ノートやタブレットの持ち込みOKの定期考査」には一定の可能性があるように思います。
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教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一