学んだことを活用して解決すべき課題をきちんと用意し、対話や協働を含む様々な学習活動を通してその解決に必要なもの(知識や技能に加えて思考・判断・表現の力、学習方策など)を獲得させたとしても、学びの仕上げにどのように取り組ませるかで、学びがどこまで深く確かなものになるかが決まり、その後の学びのあり方も大きく左右されます。
対話や協働を通して学びを膨らませた後の仕上げ方で、深く確かな学びの成否が決まるということです。
生徒一人ひとりが学びの仕上げに取り組んでこそ、学んだものを能力や資質として獲得が図れますし、学びをしっかり振り返らせてこそ、次の学びにどう取り組むか、課題と展望を描ける「自立した学習者」の育成にも繋がっていくはずです。
2015/11/09 公開の記事をアップデートしました。
❏ すべての学習活動は目的ではなく学力形成の手段
新課程への移行を前に、対話的な学びは今後ますます拡充を図っていく必要がありますが、対話のシーンを増やすことが目的ではありません。
対話を通した気づきや発想の交換を通して思考を深めたり、多様な意見や立場を踏まえた上で判断の軸足の置き方を学んだりする中で、生徒が対話や協働のスキルとそこに参加するときの姿勢や行動を身につけていくことが狙いであるのを忘れては、対話が自己目的化してしまいます。
授業で様々な課題を与えて解決に取り組ませるのも、課題解決の力を養う/解法を考え出す方法を身につけさせることを目的とした「学びの手段」です。解に行きつくこと自体が目的ではありません。
教科学習指導の場で扱う課題は、基本的には「解内在型」(先人が正解を見つけ、解法も確立されている問題)ですので、正解と解法を知るだけなら誰かに教われば用は足りるはず。
しかしながら、それで済ませていたら、未知の課題を目の前にしたときに取るべき行動や思考がしっかりと身に付くとは思えません。
学校行事やその中で行われる生徒会の活動だって、行事を成功させようとする工夫と努力の中で、生徒が対話と協働の方法を学び、その喜びを知ることに大きな目的があるのではないでしょうか。
❏ 課題解決を通してどんなコンピテンシーを獲得したか
生徒は課題解決を通して、生きて働く知識・技能に加え、様々な能力・資質を獲得していきます。繰り返しで恐縮ですが、解決すべき課題は、コンピテンシーの獲得という目的のために用意されるものです。
グループでの話し合いなどの、課題解決に向けた対話的活動がどれだけ盛り上がろうとも、それを通して生徒一人ひとりがどんな能力・資質を獲得できたかを冷静に見極めないと、せっかくの協働の場も「集団としての調和」で終わってしまいかねません。
メンバーに恵まれ、充実した活動に取り組め、眼前の課題に満足いく解を導けたとしても、そのチームを離れて違うメンバーと新たなチームを組んだときに十分なパフォーマンスを発揮してチームに貢献ができるかどうかは、そこまでに生徒個人が獲得していた能力・資質しだいです。
先生方からの視点で、教室がうまくコントロールできて、生徒は活動に盛り上がり、与えた課題にもそれなりの/満足いく解を生徒たちが導けたとしても、それだけでは「学ばせる」という仕事が十分な成果を収めたとは言い切れないときがあるということです。
チームをシャッフルして別の課題を与えて取り組ませてみる中で、生徒一人ひとりが以前より好ましい行動を取れるようになっているか、獲得させることを狙った能力や資質を発揮してくれているかを視点に、じっくりと生徒を観察してみる必要があるはずです。
❏ 理解したこと、思考の結果のアウトプット
学びの過程で得た「ああ、そうか」という気づきも、そのままでは曖昧なもの。記憶への定着も確かなものになりません。
理解したことや思考した結果は、きちんと言語化したり、モデル化したりすることでアウトプットさせるようにしましょう。問いを起点とする学びであれば、その答えをしっかりと仕上げるのも効果的です。
きちんとアウトプットしてみると、インプットの不備(知識の欠落・理解の不足)にも気づきますので、足りないものを取り込む活動(インテイク)に繋がっていきます。
アウトプットを怠ると、不明や誤解は気づかれないまま放置され、「わかった気になっているだけで理解できていないこと」が積み上がるばかりです。それらはやがて次の学びの障害になります。
放置された「やり残し」はどこかで飽和点を迎えます。授業中にわからないことが増えていけば、やがて「苦手・嫌い」に転じます。ここまで事態が進んでしまうと処方は容易ではありません。
そうなる前に、理解/思考の結果をきちんと表現(アウトプット)させ、学びの仕上げにきちんと取り組ませることが大切です。
❏ 基準に照らした答案評価で次に向けた課題形成
生徒が答えを書き上げたら、採点基準を示して、自己採点・自己添削をさせましょう。
回収して先生が丁寧に採点・添削してみても、生徒の多くは正誤や点数に気を取られるばかりです。
「どこが間違っているのか」「なぜ間違いに気づかなかったのか」
「どこまでできていたか」「どこを改めれば正解に近づけるのか」
といった視点で自分がアウトプットしたものを相対化して捉えることにあまり意識は向きません。
勉強を好きにさせる学ばせ方で書いた通り、振り返りを通じたメタ認知形成は学びへの自己肯定感を高め、積極的な学習姿勢を引き出します。
間違いの箇所を知るだけでなく、なぜ間違いを犯したのか/間違いに気づかないまま進めてしまったのかを、意識上にきちんと取り出して認識できれば、次のチャレンジで同じ轍を踏む可能性は抑えられます。
単にできた/できなかった(〇か✕か)という認識に止まっては、次に同じような課題に出会ったときにも、より良い答えを導けるかどうかは運しだい。同じ間違いを繰り返すのがオチかもしれません。
どこまではできていたかという「成果のたな卸し」や、こうすればより良い答えに近づけるという「展望の描出」には、学びに対する自己効力感を高める効果も期待できます。
苦労して考え出したこと(=自力で辿ったプロセス)が途中までとはいえ正しいものだったと自覚できるのと、「結局✕だった」という認識に止まるのとでは、自信の持ち方にも大きな違いが生じます。
正しかったことの確認を怠れば、もしかしたら、次のチャレンジで、前回はできていたところでもあらぬ間違いを犯すかもしれません。
後編に続く。
教育実践研究オフィスF 代表 鍋島史一